「風土記」 橋本雅之著 2018年2月21日 吉澤有介

― 日本人の感覚を読む —   角川選書、平成28年10月刊、

著者は、国文学・神話学が専門の皇學館大學教授です。奈良時代の人々はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
古代史の資料としては、「古事記」、「日本書紀」、「万葉集」があり、また考古学の調査によって発掘された各地の遺構、土器、木簡でその一端を知ることができますが、それらは主に国家レベルの歴史であり、生活のわずかの痕跡だけでした。

ところがほぼ同じ時代に「風土記」が成立して、古代の各地に残るさまざまな伝承が記されていました。ただそれは、歴史としての一貫性がないとみられて、資料としてはあまり重視されないまま、ほとんど忘れ去られようとしています。しかしそこにある伝承は、古事記や日本書紀(併せて記紀と呼ぶ)の神話とは異なっていて、古代史としては見逃せない重要なヒントが隠されていました。著者はこれまでの伝統的な記紀を中心とした「記紀史観」とは異なる「風土記史観」により、日本古代文化論を構築しようとしています。

「風土記」は、「続日本紀」によると、和銅6年(713年)5月に、大和朝廷の命で生まれました。畿内7道の諸国に、郡郷の命名、郡内の鉱物、植物、動物のすべてを記し、土地の肥沃度、山川原野の名の由来、古老相伝の旧聞異事を言上せよというものです。古事記成立の翌年のことでした。7年後には日本書紀が完成しています。律令国家の地方行政、情報収集のためでした。現在残っている「風土記」は、播磨国、常陸国、出雲国、肥前国、豊後国の五か国しかありませんが、他の風土記も、引用された断片で古代の記憶を伝えています。

そこにある神話では、天照大御神は播磨国に一回しか出てきません。それも船に乗った神でした。また出雲国では、大穴持命やスサノオノミコトは出てきますが、国作りをした偉大な神とあるだけで、ヤマタノオロチや因幡の白兎の話は全くありません。地元の伝承にはなかったのです。高天原については、常陸国の降臨神話に天の原とある一例だけで、降臨した普都大神は、山川の荒ぶる神たちを平定して、白雲に乗って再び天に帰っています。他の風土記でも多様な降臨神話があって、多くの神々が各々の土地に深く結びついていました。

また播磨国には、渡来系の人々の多くの伝承がありました。天日槍命(アメノヒボコ)についても、記紀にない定住に至るまでの対立と激しい争い、融和への道筋が語られています。

一方、風土記には多くの天皇巡行伝説が記されていました。それも偏りがあって、播磨国では応神が特に多く、九州諸国には景行、常陸には倭武の記述が集中していますが、出雲にはほとんどありません。大和朝廷の地方への勢力拡大の経緯を伝えているのでしょうか。

ただ風土記には、時間認識に記紀にみられるような系譜的な時系列認識とは、根本的な違いがありました。(古→昔→今)の流れで記述されているのです。神々や祖先の歴史も、(祖→初祖→遠祖→始祖→上祖)としています。また空間的認識でも郡と里が単位とされました。本書では、記紀とは異なるこれらの古代人の感覚に沿った、地方目線の風土記史観の再構築を目指しています。なお各地から報告された植物の記述に、杉、檜、松、桐や独活などの草木が網羅されているのに、「梅」、「桜」がありません。「風土記」は不思議な世界でした。「了」

カテゴリー: 気候・環境, 社会・経済・政策 パーマリンク