「気候科学の冒険者」 中島映至監修 技術評論社

東京大学気候システム研究センター長である中島教授がホストとなり、毎回気候研究に
携わるゲスト研究者を迎えて開催されるサイエンスカフェの様子を再現した記録集である。
現代の気候科学の第一線で温暖化を測るひとびとの、生い立ちから研究の舞台裏を見学
しながら、「考えるヒント」を探ってゆく趣向はとても斬新である。

サイエンスカフェとはフランスで哲学カフェとしてはじまり、イギリスから日本に広ま
った。ここではその分野の最新の情報を、専門用語を使わずに、一般市民でもコーヒーや
ビールを飲みながら研究者から直接聞くことができるし、その場で質問したり議論するこ
とができる。
その情報はネットのホームページ「サイエンスカフェ・ポータル」に詳しい。
この気候システム研究センター(CCSR)では、気候研究に対する一般の理解を得るため
に、企業などにも積極的な参加を呼びかけているので、K-BETSでも参加を検討してみては
どうであろうか。
そのゲストたちのプロフィルを紹介してみよう。

 1.気候研究のサムライ中島映至 

このカフェの発起人である。地球気候の問題はとても
複雑なので、一部の専門家だけでは解決が追いつかない。
より多くのひとびとと意見交換しようと企画したという。
中島さんは父君が書家だったが、あとを継ぐのがイヤで東北大理学部に進んだ。
そこでたまたま大気放射学をすすめられて専攻したのが地球科学への発端になった。
大気放射学とは、太陽から来た光が雲やエアゾルによって宇宙空間にどう反射されるかと
か、暖かい地面から出る熱赤外線を、温室効果ガスや雲がどのように遮蔽するかを研究す
る。87年からNASAに呼ばれて3年間いたが、もうやめるつもりでいたところ、東大のCCSR
の立ち上げに助教授として誘われた。
東大はもともと大気力学には強かったが、地球規模の温暖化や熱放射については気象学の
手に負えなかったので、NASAで手掛けた地球放射の理論が貢献することになった。
ここには役に立たない研究を大切にする雰囲気があって、各方面からさまざまな有能な研
究者が集まったという。
その結果誕生したのが「大気海洋結合気候モデル」で、MIROCすなわち弥勒菩薩の
「ミロク」という名前がつけられた。この気候モデルはその後大きく発展している。
中島さんは現在、雲に一番関心があるという。人材育成の名手である。

2.ミスターCO2中澤高清

 東北大学大気海洋変動観測研究センター長である。
中澤さんは高知大学(物理)で山岳部リーダーだった。
大学院にいくとき台風のため志望先への願書が届かず、唯一間に合った東北大学の
地球物理に進んだという。
ここで大気放射学の基礎研究をやっていたが、たまたま図書館でキーリングの論文に
出合ったことから大気中のCO2の研究に入った。
CO2濃度の測定で、キーリングの精度
0.3ppmであったが、中澤さんは苦心の末に80年に0.01ppmという世界最高精度の装置をつく
った。85年の国際会議で航空機や船で測定した論文を発表したら、キーリングに激賞されて彼の研
究室に招かれることになった。
上空での長期観測によると、とくに下層でのCO2濃度が急速
に増加しており、東アジアでの化石燃料消費の影響がはっきりと認められる。
さらに中澤さんは南極の氷床でコアを採集して、57万年前までの大気成分を高精度で測
定し、3度の氷河期にまたがるその推移を明らかにした。
観測には4カ国が参加したが、その測定方法ではオーストラリアのチームはチーズ削り方
式、スイスやフランスはコアを乱暴につぶす方式だったが、中澤さんは日本のかき氷方
式で98%の精度を実現して一番よかったという。
中澤さんは温室効果ガスの高精度な測定で、地球大気のさまざまな現象を明らかにして、
各国から高い評価を受けている。いつも新しい分野に挑戦する姿勢は尊いものがある。

3.サステナの天秤・住 明正

 前CCSRセンター長である。
住さんは東大物理学科から大学院に進み、当初は実験物理で田無の原研に入ったが、
より現実世界を求めて気象庁に移った。
少年時代に岐阜で遭遇した伊勢湾台風の強烈な体験があったからだ。
また東大闘争に深く関わり、人間に対する価値観が変わったことも大きく影響した。
本庁の予報部電気計算室から79年にハワイ大学に、81年に戻ってその4年後に東大の地球
物理に呼ばれた。
この頃が気候モデルの草創期で、アメリカの気候モデルは日本の研究者が支えてきたとも
いわれた。
91年に気候システム研究センター(CCSR)を立ち上げ、まず東北大学や九州大学な
どからの人材集めから始めて、東京大学による本格的な気候モデルに取り組んだ。いろいろなモデルを
つくったが、気候再現モデルで地球温暖化の傾向をみると、海水の流れや積乱雲の発生状況までシミレ
ーションすることができた。
IPCCによる排出モデルの検証も行い、そのシナリオについて検討している。
ただ温暖化の原因を完全に証明することは現時点では不可能である。
そこで地球環境をいくつかのパターンに分けてシミレーションした結果と実際の気候の変化を重ねて比較
した。
ここでは自然要因と人為要因の影響をそれぞれ分けてみたり、組み合わせてみたりすることができる。
それによると20世紀前半は自然要因による温暖化傾向があり、後半から人為要因が加わったものと考
えられる。
住さんはここでは注意深く、20世紀後半の温暖化もすべてが人為要因とは言っていない。
要因の一つとみて検討を続けている。
これらの気候モデルで未来を予測すると、2100年には日
本の真夏日がいまの3倍くらいに増えそうだ。
それも夏が長くなるというよりも、たとえば3月とか12月に30℃を超えたりするらしい。
豪雨の頻度も上がりそうだ。いまから対応を考えたほうがよい。

中島さんの感想として、住さんの気候モデルの研究実績もさることながら、一番の功
績は人を育てて組織としての成果をあげたことだという。


4.水文学者の沖 大幹 

東京大学生産技術研究所の教授として、グローバルな水循環や世界の水資源など、
世界の水問題を俯瞰的に研究する一方で、講演やTVでも一般向け活動で知られている。
大学の研究室は人間行動がおもしろいと交通工学を狙ったが、定員オーバーのため
ジャンケンで負けて仕方なく河川水文研に、それもやっと入れてもらったという。
このようにして河川や水の循環を扱ったが、当時の気候モデルをみて、川というも
のが一切考慮されていないことに気がついて、水循環を入れるよう提言した。当時沖
さんは大気中の水蒸気の増減が陸の水収支に対応するとして、世界規模での河川の流
量を推計していたが、気候モデルと融合させるためにはそのままでは正確さが足りな
いため、シベリアや中国など、世界の河川網についてどのように流れているかを手作
業で細かく調べることにした。
こうして世界で初めて気候モデルに河川を入れたものができたのである。シミレーシ
ョンするとユーラシア大陸の雪解け水の流れや、アフリカの奥地での降雨でナイルが
流れる様子まで再現できた。大規模な干ばつや洪水などの予測もできる。
日本は特に水に恵まれているが、沖さんは比較研究のためにタイを取り上げて調査
している。
タイは意外にも年間雨量は日本より少ない。
1200ミリから1300ミリくらいだ。それが5月から9月の雨季だけに降る。詳しく調べる
9月の雨量が減ってきたことがわかった。その原因は森林の伐採であった。50年代に
はタイ全土で70%あった森林が、90年代には約30%まで落ち込んだ。シミレーション
すると、9月になるとモンスーンが弱まり、地表の状態が降水量に影響することが分か
った。
森林がなくなると水の蒸発量が減るからである。この調査は鼎信次郎さん(現在東工
大)が手掛けた。

これからの環境モデルの研究では、地球全体あるいはシステムの各部分でどのよう
に水を交換しているかが大きな問題になる。
沖さんはその研究の集大成として、地球全体の水の循環量と貯水量の摸式図をサイエ
ンスに掲載した。画期的な業績である。

 5.わらしべの旅は続く 枝廣淳子 

環境ジャーナリスト、翻訳家として活躍している。ここでは「地球環境のふしぎ
と人間活動」というテーマでゲストに招かれた。
アル・ゴアの「不都合な真実」の翻訳者である。
仙台近郊の田舎で育ち、東京大学大学院で教育心理学を専攻、夫君との米国在住を期
に同時通訳も手掛け、そこでレスター・ブラウンと出合ったことで環境問題に目覚め
た。伝えることとつなげることに意欲を燃やしている。
とくに経済分野からの警告として、イギリスの「スターンレビュー」があって、「今
行動を起こせば気候変動の最悪の影響は避けることができる」としていることを紹介
している。
枝廣さんはバックキャステングアプローチの手法で、戦略的活動を展開するのが得意だ。
「どういう世界にしたいのか」、「どのような日本にしたいのか」という目標を先に考
えるのである。
バイオ燃料についてはすこし認識が足りないところがあったが、毎朝2時に起きるとい
うから凄いひとだ。
 
サイエンスカフェはなかなかおもしろそうだ。
味のある人たちの話は楽しかった。

「了」要約  2010923日 吉澤有介

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