「食の人類史」佐藤洋一郎著 2016年10月23日 吉澤有介

— ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧 —
ユーラシアでは、人々は狩猟と採集、農耕、遊牧などのさまざまな生業につきながら、お互いに関係を持ち、干渉しあって生きてきました。現代では、食料の生産と消費が分離して、極端に偏ってゆく傾向にあります。しかし人は食べなければ生きてゆくことはできません。著者は、あらためて食べるという営みについて、「いかに食べてきたのか」を問い直し、未来における人類の食のあり方を考えるヒントを提供しています。
人類は、今から数万年前にアフリカを出てユーラシアに入りました。ある仮説によると、ヒトはもともと移動する動物であったといいます。食料や水の豊かな土地を求めて移動してゆきました。狩猟・採集を続け、2万年前にはユーラシアのほぼ全域に入り込んで、そこを自らの大地に作り変えてきました。その経緯は、ミトコンドリアDNAから明らかです。
雑食動物であるヒトは、動物質、植物食の食料をバランスよく食べることが必要です。雑食というと何を食べてもよいかととられますが、そうではありません。原則は両方からの栄養摂取が欠かせないのです。単位面積当たり何人が暮らせるかという「人口収容力」をみると、一般的には植物質の食料に頼る集団のほうが、動物質に頼る集団より大きい。生態系では食物連鎖によって、肉食動物が草食動物よりも少ないのです。地域の人口が飽和してくると、次第に定住するようになりました。しかし定住して資源を得るためには、これまでのような狩猟・採集では間に合わない。どうしてもその土地で新たな資源を生み出してゆかなければなりません。野生の動物を飼育して家畜とし、野生の植物を選んで栽培する、地域の環境に合わせた暮らしが始まりました。1万年ほど前のことだったようです。
その原始的農耕は、やがて土地を囲い込む農業という生業の成立に進展してゆきました。
人口が集中し、古代文明が始まると、食料は生産、保存、運搬して供給されるものとなり、穀類やマメなどの地位が高まってきます。さらにその多くは、1年生植物ですから品種改良も進んだのです。アジアでは、キビ、アワ、ヒエなどの雑穀が登場しました。いずれも夏穀類です。うちヒエは日本列島が原産地とみられます。縄文人はクリを栽培し、堅果や魚を食べ、土器文化を創りました。土器を焼くため落葉広葉樹林を伐った跡地は雑穀を育てるのに好適だったことでしょう。イネの起源は、今から1万5千年前の最後の氷期の後に広がった照葉樹林の水辺の野生原種からのようです。それが長江流域で稲作に発展しました。地域によって水田や焼畑でしたが、日本列島では弘前市に2300年前の水田遺跡が確認されています。日本の食文化は、五穀(コメ、麦、粟、稗、豆)で形成されました。
一方ユーラシアの西側では乾燥した大地が広がっています。この地域の人々の食料は、さまざまな穀類と家畜の組み合わせでした。その一つが遊牧文化ですが、起源は狩猟ではなく、農耕から派生したという考え方が有力となっています。穀類の主力はコムギで、8~9000年前に、カスピ海沿岸で生まれました。染色体の倍数進化で複雑な展開をしてきました。粉食文化の誕生です。ローマ人は菜食、ゲルマン人は肉食という指摘もありました。人類史からみた本書は、食文化の未来を見直す良いきっかけになることでしょう。「了」

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