「大気を変える錬金術」 トーマス・ヘイガー みすず書房

–  ハーバー、ボッシュと化学の世紀  –
      著者は米国の医化学系ジャーナリスト。
白川英樹博士が解説文を書いている。
その中で生活に便利で当初無害だと信じられてきた物質、DDTやフロンガスとこの合成アンモニアの例を挙げて分解し難い材料の大量使用がいかに地球環境を危険にしているかを述べている。

農業の生産性
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世紀の初期までは人糞―堆肥と輪作で食料生産が維持されてきた。
これらの農法では1エーカー(60m四方)当たり10人養うのが限界と考えられていた。
人体を構成する最も重要な元素は窒素(N)である。
空気中の80%はNであるが植物が使うのは固定N(固体か液体)でなければならない。
豆類が根粒バクテリアを使って固定するか、雷が作るか自然界にはNを固定する方法は2種類しかなかった。

中国人が火薬を発明した
中国の錬金術師が不老長寿の薬を探している時、ある石(硝酸カリウム塩の混合物)を削って熱したら爆発したという。これが火薬や花火の発明につながっていった。これが発展して18世紀には王が効率の良い「硝石プランテーション」を作らせた。粘土で浅い溝を作り糞や食べ残しに灰を混ぜて汚水や尿をかけて太陽で熟成すると出来上がる。

南米の硝石
ペルーやチリで取れた鳥の糞をベースにしたグアノと呼ぶ硝石が19世紀末の世界の貿易を制した。欧米の農業生産は完全にこれに依存した。米国ではこの時期鉄道、河川の橋、鉱山やトンネルの掘削に大量の火薬が必要だった。

ユダヤ人フリッツ・ハーバー
ドイツは当時科学研究には環境や人材面で最高の土地だった。ここでユダヤ人が差別されることなく才能を発揮することができた。Nは安定した分子で自由にするには1000℃のエネルギーが必要で自然界では稲妻だけがこれを可能にした。彼はこのアンモニアの研究に集中した。そして1909年に小さじ1/4くらいの液体アンモニアの合成に成功した。熱と圧力、触媒のバランスを見つける事が求められた。圧力を上げると温度を下げても収量が増えることを見つける。

ドイツ最大の化学会社“BASF”
社長のブルクは石炭から合成染料の製造に成功していた。ドイツの肥料と火薬はチリの硝石頼り。戦争などで貿易が途絶えたら干上がってしまう。ブルクは化学合成チッソの市場に進出する狙いを定めた。発明者ハーバーとBASFが合成窒素の開発で合意する。100気圧で触媒にオスミウムを使ったら収量倍増するところまで開発できた。後はありふれた材料の組み合わせで触媒を作ることが重要な課題になった。

BASFではボッシュ指揮の窒素の研究開発
アンモニアの人工合成の開発がハーバーの研究をベースに始まった。
高温高圧で工業的に作るため多数の難問題に直面した。
特に反応装置の分厚い鉄板が壊れて爆発事故を繰り返した。
これは水素分子が鉄の中に浸透して水素脆性を起こしたものであった。
何度も事故を起こしたりしたがボッシュの並外れたアイデアで難問を克服して工業化に成功した(1911年日産1トン規模)。
彼はこの成功で社長になったが技術サイドの活躍に比べ対労働組合問題や経営全般に対しては未熟なところがあったようだ。

 

アンンモニアの合成「ハーバー・ボッシュ法」
1890
年16億人の人口が今60億人(4倍)になっている。食物の生産量は7倍になっている。
これが達成できた要因は
1)ハーバー・ボッシュ法での化学肥料(世界で1億5千万トン/年規模の生産)
2)米と小麦の品種改良
の2つによる。
合成アンモニアは自然界で作られた量とほぼ等しい量が新たに供給されている。
畑に播いた半分は植物が吸収するが残りは地中に浸み込み川や海に流入する。
これが蓄積して河川の硝酸塩濃度は1900年度比で4倍にアップしているという。

水中に窒素が増えると
次の循環で魚の生存を危機に落としている。
「水中窒素の増加 - 藻や海草の生長促進 - 水を濁らせ日光を遮る - 深部の生物の死=酸素濃度を下げる - 淡水系の崩壊」
バルト海ではこのためタラ漁が崩壊してしまったという。
海中の酸素濃度が下がり魚を死なせてしまう現象は世界各国で発生している。

人類に多大な貢献をした反面その有害な面も見えてきた
地球上の大気を巨大な肥料のサイロに変え多くの人口を養えるようになった技術の進歩があった。
反面油や石炭の燃焼ガスとともに窒素酸化物は温室効果ガスとして地球温暖化を推進し、酸性雨の原因にもなっている。
合成窒素は農業を伝統農法から大規模単一栽培農法に変えていった。
これらは土壌の質の低下、病気の発生、多様性の減少といった負の要因を伴ったものであった。

 

何事もある範囲で収まっていればそのメリットを多く受けられるが現在の経済社会は収益性の観点から猛烈な速度状況が変わってしまう。問題が発見されて気づいた時には取り返しのつかないところまで走ってしまっているのが工業社会の危険なところである。

        記 福島 巖

カテゴリー: 気候・環境, 科学技術 パーマリンク

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