第2の地球を探せ!田村元秀著 2016年1月8日 吉澤有介

-   太陽系外惑星天文学入門  -
私たち生命は、どこから生まれてきたのでしょうか。この地球上か、それとも遠い宇宙からきたのか。地球のような惑星が、太陽系の外にもあるのか。そこにも生命が育まれているのではないか。これは私たち人類の永遠の問いでした。ところが1995年になって、太陽系以外の恒星を周回する惑星が確認されたのです。まさに歴史的な大発見でした。
それはスイスのマイヨールとケロッズが、地球から50光年離れたペガサス座の恒星からの光の周期的変化をドップラー法で解析して、木星の半分ほどの巨大な惑星が、主星の至近距離を4日で公転していること発見したことでした。当初はあまりにも異常だと疑われましたが、その後発見が続き、さらに5年後には、周回する惑星が主星の前面を通過することによる明るさの変化を捉えるトランジット法が開発され、惑星の大気や温度まで確認できるようになりました。系外惑星の発見は、15年間で500個を超えています。
これまで私たちは、いつも太陽系を標準に考えてきました。太陽は核融合によって表面温度約6000℃で輝き、その周囲を水星、金星、地球、火星の岩石惑星、その外側に木星、土星の巨大ガス惑星、さらにその外に海王星などの氷惑星が回っています。これは一般的な例なのでしょうか。惑星の誕生を理論的に考える京都モデルなどの「惑星形成論」は、太陽系の成り立ちをほぼ説明できるようになっていました。しかしこの標準モデルも、新たに発見された多様な太陽系外惑星には、そのまま適用はできなかったのです。
そこであらためて惑星系の中心である恒星が生まれるプロセスの解明が行われました。暗黒星雲がその領域で、水素を主成分としたガスが集った分子雲が円盤状に回転を始め、その中心が原始星となると同時に、ガスや塵が円盤の上下に高速で噴出すアウトフロー現象が起こります。この円盤こそが、「原始惑星系円盤」と呼ばれる惑星誕生の現場でした。
これは「星雲説」として、カントとラプラスが18世紀に提唱していたので、太陽系外惑星の探査は、すでに1930年代から始まっていました。しかし恒星や惑星の誕生を観測で確認するには、近年の天体望遠鏡と観測技術の飛躍的な発展を待たねばならなかったのです。
その後の世界の天文台の進歩は目覚しく、間接的な証明からさらに原始星の円盤の直接観測に向かいました。とくにハップル宇宙望遠鏡の鮮明な画像は衝撃的でした。当初は出遅れた日本も、待望のすばる望遠鏡が1999年にハワイ島マウナケア山頂で観測を開始して、一挙に世界の第一線に並びました。口径8,2mのすばるの解像度はハップルの3倍を超え、直接観測に成功して、生命が存在可能なハビタブル惑星の発見に貢献しました。地球型惑星探しの競争は熾烈ですが、日本は国際協力プロジェクトでも世界をリードしています。
系外惑星研究の進展は、宇宙と生命の研究を本格的に結びつけ、「アストロバイオロジー」と呼ばれるこの研究分野は「第2の地動説」時代の扉を開きました。木星探査機「ガリレオ」は、逆に外から地球を探査し、そのスペクトルから生命の兆候を捉えました。バイオマーカーに使えます。植物や氷を直接捉える研究も進んでいます。日本が提案した次世代望遠鏡の開発がカギとなることでしょう。21世紀の最先端科学の刺激は強烈でした。「了」

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