「医学探偵の歴史事件簿ファイル2」小長谷正明著 2015年5月14日吉澤有介

歴史を動かした、あの人物の病気は何だったのか、名探偵ポアロの「灰色の脳細胞」にならって、著者は現代医学の観点から、さらに推理を働かせて追求して行きます。
新約聖書の福音書を記したルカは医者でした。イエスによる数多くの治療譚を書き留めています。ある日、ガラリヤの村で布教していたイエスのもとに、パリサイ人たちが中風を患っている者を寝台に乗せて運んで来ました。群集の前でイエスは「人よ、あなたの罪は、あなたにはもう許されている。起きなさい。そしてあなたのその寝台を担いで、家に戻りなさい。」と言うと、その患者は、たちどころに彼らの面前で立ち上がり、自分が寝ていた寝台を担いで自分の家に帰りました。みんな正気を失うほど驚いて、神を讃えたといいます。このような例は著者も経験したそうです。一見脳卒中だが実はパーキンソン病だった患者がいました。手足の関節が拘縮して、表情も凍りついていました。特効薬のL-ドバを静脈注射すると、患者はベッドから歩きだしたのです。現代医学の神業でした。このL-ドバは自然界のソラマメにもあります。イエスもそれを与えたのかも知れません。
1934年、大阪府高槻市阿武山から、中臣鎌足とみられる60歳前後のミイラ化した遺体が発掘され、一応の調査の後埋め戻されました。1982年になって当時の遺体のX線写真が発見されて、死因が判明しました。強い外力によって腰椎と脊椎が骨折していたのです。「日本書紀」によると、天智天皇8年(669年)夏の狩りには群臣とともに参加。秋に鎌足の家に落雷があった。10月10日、鎌足の病重く天皇が見舞った。15日大織冠を賜り、16日夢去となっています。この急死は、落雷による家屋倒壊で下敷きになったためらしいのです。政治情勢は一気に不安定化し、2年後天智天皇が崩御すると壬申の乱が起こりました。
ルイ十四世は、1658年7月、20歳そこそこでしたが、スペインとイギリス王党派の連合軍との戦いで、悪寒と発熱で人事不省になりました。侍医たちがほかに手はないとして劇薬アンチモニンを投与、幸いに病状は回復しましたが、髪の毛がみな抜けてしまったのです。目立ちたがり屋の王は、大きく盛り上げたカツラを被ることにしました。そのファッションがたちまちヨーロッパ中の宮廷に広まり、バッハやハイドンも習ったのです。
1973年、67歳のプレジネフは脳梗塞を起こしました。その後「死んだも同然」の状態のまま、最高ポストにあり続けました。周囲の特権階級が支えたのです。82年に彼が死ぬと、後継の書記長も糖尿病、肺気腫などで2年半の間に3回葬儀があって政権は迷走し、ゴルバチョフが登場したときにはすでに手遅れで、91年にソ連は解体、消滅してしまいました。
本書では、古来の疫病について、崇神天皇5年の大流行に始まり、佛教伝来時の痘瘡、天平9年の藤原四兄弟の死、百万遍に伝わる鎌倉時代末期の疫病に続いて、モンゴル帝国のペスト大流行、ボッカチオのデカメロンなどにも触れています。ナポレオンもエジプトのペストを逃れたことが、その後の栄進のきっかけになりました。疫病だけでなく、薬害も大きな社会問題を引き起こしています。さらにダーウィンの遺伝性の病、エドワード七世の戴冠式を遅らせた虫垂炎など、医学探偵の興味深い歴史事件が満載でした。「了」

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