「土の文明史」 デイビッド・モントゴメリー著 2014年2月20日 吉澤有介

  おおまかに言って、多くの文明の歴史は共通の筋を辿っている。最初、肥沃な谷床での農業によって人口が増え、それがある点に達すると傾斜地での耕作に頼ることになる。森林が切り払われ、継続的に耕起することで、むき出しの土壌が雨と流水にさらされて斜面の土壌浸食を招き、養分不足となって収量が低下してゆく。土壌劣化は急増する人口を支えきれず、文明全体が破綻へと向かう。古代ギリシャもマヤ文明もそうだった。
現代社会は、技術がほとんどの問題を解決するという観念を育んだが、資源が生成されるより速く消費されるという問題は、技術では決して解決はできない。いつの日か、私たちは資源を使い果たしてしまうことだろう。今日、土壌管理は歴史上最大の課題である。文明は一夜にして消滅はしないが、数世代にわたって土壌を失って衰退してゆくのだ。

 土壌は、環境の変化に対応する動的なシステムである。ダーウィンは死の前年、最後の著書「ミミズと土」で、表土は長い間の侵食と風化により砕かれた岩石を、朽ち葉などとともに無数のミミズの働きで生成したことを明らかにした。その速度は1年に3〜6mmの厚さであったことから、ローマの遺跡が埋もれていた深さとも一致した。ダーウィンの認識は正しかった。土中にはさらに多くの生物がいて、土壌の生成を促進している。

 土壌は土地の形成を助けるだけでなく、植物が育ち、酸素と水を供給・保持する不可欠な養分の源となる。良い土は触媒のように作用して、植物が太陽エネルギーと二酸化炭素を炭水化物に変換するのを助け、食物連鎖の形で陸上生物のエネルギーとなるのだ。

 土壌はどのような構成を持つだろうか。まず一番表層には、分解された有機物を主とする0層がある。その下がA層で、有機物と無機質土壌が混じって養分に富んでいる。ここまでの数十センチの厚さが表土で、肥沃だが土質が脆いので、雨や強風にさらされると侵食され易い。その下層はB層位で、一般に0A層より厚いが、含まれる有機物が少ないので、硬くて肥沃でない。さらに深い下層はC層位と呼ばれる風化した岩石と基岩になる。表土では水分、熱、土壌ガスの良好なバランスが、植物の急速な生長を促す。その表土を失った土壌は一般に生産力が低い。B層から下層になると、はるかに痩せているのだ。

 世界の土壌地理をみると、肥沃な表土を持つ地域は限られ、穀物などの主要生産基地になっているが、地球の大部分は土壌が痩せていて農業が難しいか、開墾してもすぐ侵食される土地である。殆どの自然の植物群落に見られる、年間を通した植物被と違い、作物が農地を覆うのは一年の限られた期間だけなので、むき出しの土壌は風雨にさらされ、より厳しい侵食が引き起こされる。それが斜面になるとさらに数倍の速さで侵食が進むのだ。鋤の普及以来、継続して耕作する慣行農業は、一般に侵食を自然の速度より速めている。何世紀もかかって堆積した土壌が、10年足らずで消え去ることもあるという。

 文明は住民に食料を与える生産力を持った土壌が、十分に保たれている間しか存続できない。歴史を振り返ってみると、農耕の起源には諸説があるものの、シュメール文明ではBC4500年ころにはメソポタニアの肥沃な土地はほぼすべて耕作されていた。しかし人口の増大に伴って地下水の利用で灌漑を進めた結果、地下の塩類が土壌を汚染して、作物の収量は急落した。農業の崩壊はそのまま文明の終わりとなったのである。

 メソポタニアの農業は西に広まり、エジプトに伝わった。ナイル川の氾濫原は、持続的な農業には理想的であった。アフリカ奥地から運ばれる養分の豊かな土シルトによって、エジプトの農業は数千年にわたって驚くほど生産性が高かった。しかし皮肉にも20世紀のダム建設が劇的な変化をもたらした。土壌の供給を立たれたナイル川では、塩類化が進行して農業は破壊された。化学肥料でもカバーできず現在は食料の大部分を輸入している。

 古代文明だけでなく、近代に至っても森林の伐採、農業の機械化は土壌の侵食を一段と加速させた。緑の革命も一時的には農業生産性を高めたが、人口増大に対応できずに多くの農民を飢餓に追い込み、土壌は激しく流出して、いくら化学肥料を投入しても穀物生産量は増加しなくなった。20世紀後半には耕地面積はすでに限界に達している。

 バイオテクノロジーも期待されたが、業界の約束であった収量の増加も農薬使用量の減少もみられず、壊滅的結果を招くリスクだけが残った。生体工学と農芸化学には重大な懸念があり、石油に依存する農業にも未来はない。果たして代替的手法はあるのだろうか。

 現在、集約的な機械化農業を維持できる広い地域は世界に3箇所だけだ。アメリカの平原、ヨーロッパ、中国北部の黄土地帯がそれである。そのアメリカも中国も、強風による強い侵食を受けている。それ以外の地球上の大部分の農地は、さらに薄くて脆い土壌である。私たちはその土地の環境と土壌の能力に合わせてゆかなければならない。土壌を工場として見るのではなく、生態系、生命系と見るのだ。不耕起も有効な技術なのである。

 新しい農業哲学に基づく、近代的な集約的有機農業が始まっている。1980年代半ばにワシントン州で、慣行農業との比較実験が行われた。その結果、純収穫量にはほとんど差はなかった。しかも有機農業の表土は厚さを増し、肥沃度も保たれていた。この研究で、有機農業のリンゴはエネルギー消費が少なく、土壌の質を高く保ち、甘さも増して利益が大きくなった。慣行農業が15年かかる利益が、集約的有機農業では10年で出たという。

 キューバの食料危機も有機農業が解決した。ソ連崩壊の結果、石油の輸入は断たれ、農業機械を修理する部品も入らなくなった。ここで政府は国を挙げて世界初の代替農業の試験を開始した。ます工業化された国営農場を民営化し、有機農業と都市の空き地での小規模農業を奨励した。化学肥料も農薬も手に入らなかったので、好むと好まざるとにかかわらず有機農業になった。政府は、農業を現地の条件に合わせ、生物学的な施肥と害虫駆除の手法を開発し、全国に200以上の農業振興事務所のネットワークを構築した。砂糖の輸出もやめ、再び国内向けの食料の栽培に移った。そして10年もしないうちにキューバ人の食生活は元の水準に戻ったのである。ハバナ市内には都市菜園が数百もできて、市内の需要をほぼまかなったという。20年後の今日、まだ肉と牛乳は不足しているというが、この驚くべき農業革命は、安価な石油がなくなった後の農業に貴重な示唆を与えてくれた。
 都市農業の貢献を考えると、肥沃な土壌をこれ以上工場や住宅などで潰してはならない。土壌を、豊かさの生きた基盤として尊重する、新しい農業の確立が急務なのだ。「了」

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