カルタゴ国とハンニバル 2012年3月18日 記 福島 巌

突出した英雄が実現不可能なことを可能にした       

ハンニバルは国の応援も無く国籍も職業も全く異なる傭兵を10万人近い規模で率いて周囲を敵に囲まれた初めての場所に攻め込んだ。そして連戦連勝して帰還した。傭兵の意思を統一し、アルプス越えのような無茶と思われる企画を成功させた。13年もの経験を政治に生かし奇跡と思われる経済復興を成し遂げた。このような人が一人いたらなあと思われる今の日本である。

ある通商国家の攻防 森本哲郎 PHP社 など数冊の本を参考にしました。ポエニ戦争については多数文献があります。 

 フェニキア人とは

中東南レバノンからパレスチナにかけての沿岸に住むセム系の人々である。中心都市はツロで商業活動に長けて貿易を活発に行っていた。「知恵と悟りにより金銀を倉に貯め貿易で富を増やす」とギリシャの哲学者に評価された。シルクロードの商人も同じであるが信用が絶対、秘密を漏らすようなことは決してやらなかった。 

カルタゴの国

ペルシャの勢力が増してきたためフェニキア人は拠点を求めて地中海沿岸各地に植民地を築いていく。鉱物資源(銅、錫、銀)の開発と供給が主な貿易品目であった。多くの拠点の中でシチリア島に近いアフリカよりにあったカルタゴ(BC814年建国)が最も活況を呈した。彼らの生活は簡素で、楽しみや優雅な生活を軽蔑して仕事に全精力を傾けた(ローマとは真反対)。

ギリシャとカルタゴの覇権競争

この時代ギリシャの海外植民地活動も活発でシチリア島に拠点を作り上げていた。シチリアの地ではギリシャとフェニキアが衝突を繰り返していた。BC5世紀フェニキアは西部地中海でカルタゴの支配力を確立すること、北アフリカに勢力拡大の2点を戦略として進めることを決定した。ギリシャは経済力と軍事力で次第にカルタゴに及ばなくなりBC6~3世紀にかけてカルタゴの黄金時代を迎えていた。

ローマの進出

ローマがイタリア半島を制圧し終わりBC3世紀にはシチリアに進出してきた。ローマの植民地は人間を送り、その地に町を作り市民生活をする通常の政策であるのに対してカルタゴは貿易をするための拠点を作ることにあった。 港や倉庫といった経済を効率よく運用するための設備を備えればよくそこに人が住むための町作りではなかった。

ローマとの軋轢 - 第1次ポエニ戦争

ポエとはラテン語のフェニキア人のことを指す。シチリア島にローマの足場を築くための戦争が足掛け20数年、24戦に渡って行われた。自国の軍隊を持つローマに対して傭兵だけで成り立つカルタゴはついに敗れてしまった。莫大な賠償金の支払いと、シチリア、サルジニアの2島をローマに譲渡した。傭兵は未払いの給金を巡り反乱を起こした。新カルタゴはハミカル・パルカを指導者として金属資源が豊富にあったスペインでの活動に国の再生に賭けた。

ハンニバルの登場 - 第2次ポエニ戦争

この路線を息子のハンニバルが継承してカルタゴが強力な国家に再生できた。ローマの力を破壊しようと目論むハンニバルはBC218年スペインの地から出発してフランスローヌ川を渡った。この時歩兵5万、騎兵9千、38頭のアフリカ戦象を引き連れていたという。ここからアルプスを越えてイタリア平野、トリノまでの道222kmを15日かけて横断した。案内人に騙されて最も困難なルートを通過、険しい谷間を通過中に投石によって半数の軍人を失ってしまう苦難にも出くわした。
平野に下ってからはカルタゴ対ローマの大戦争は3回あったがハンニバルはどの戦場でも圧勝した。ほとんど全部の軍人が出身地を別にし、職業も異なる傭兵である。どんな困難に出会っても反乱や逃走もせず、ハンニバルに従ったという。ローマ市は恐慌状態になってしまった。スペイン出発から13年戦いに明け暮れたが本国からの帰還命令が出てカルタゴに帰還した。国の支援が全く無い中周囲が全部敵の中を大集団率いて突破していった。ハンニバルは漢の劉備玄徳のように徳を備え、尊敬される人柄であったようで無茶なトライに皆が付いていった。

奇跡の経済復興

本国に引き上げた後、再度ローマ対カルタゴの戦争が起きるが傭兵が霧散、海軍兵力が無くなっている戦力ではハンニバルでも無力で、スキピオに敗れてしまう。過酷な講和条約が締結されて悲惨な状況に陥ってしまう。海外地域、スペインなどの拠点を全部失ってしまう。ハンニバルが指導者になって国内の政治改革を実施、復興に努める。広範囲な貿易から撤退し、限定地域で集中的な活動を繰り返した結果、敗戦国カルタゴが奇跡の経済復興を成し遂げた。この事実に戦勝国ローマは苦悩した。 

カトーの決断

一徹な男カトーはそれまでの経過を見据えてカルタゴはどんな状況に置かれても不死身で生き返ってくる。ただ一人街頭に立ってカルタゴの危険性を述べ、この国は滅ぼさねばならないと訴えた。この執念が実を結んで第3次大戦へと進む。最も危険とみなされたのはハンニンバルその人でカルタゴに留まることができず海外に逃走した。

地上から消えた大国 - 第3次ポエニ戦争

すべての条件が不利な状況で戦争を諦めていたカルタゴに、ローマは多くの難題を科して、最後には勝つ当ても無くヤケッパチで戦争に突入して行った。ローマはあらゆる場所に火をつけてカルタゴの町全体を13日かけて燃やし尽くした。非戦闘員の女も子供も全て殺して土の中に埋葬してしまった。完全に地球上からこの国が消え去ったのである。現在でもカルタゴのあった地域は「呪われた地」の崇があると恐れられている。

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