今日も森にいます。東京チェンソーズ 青木亮輔 徳間書店 

若者だけの林業会社、奮闘ドキュメント

東京チェンソーズ代表の青木亮輔は1976年大阪生まれ、東京農業大学農学部林学科を卒業した。
学生時代から探検部の活動に情熱を傾け、モンゴルの洞窟調査やメコン川の源流確認など、探検三昧の日々を過ごした。その後
1年間サラリーマン生活をしたが肌に合わず、やはり地下足袋を履く仕事をしたいと、林業の求人情報を探し、ようやく緊急雇用の口を見つけて東京都檜原村森林組合に採用された。

しかしこの契約は失業対策としての臨時採用だったので、正規職員への登用の道はなく、期間も半年に限られていた。それでも林業をやりたい一心で、森林組合の宿舎に住み込んだ。そこには同じ緊急雇用の中年過ぎの仲間がいて、総勢5人で道つくりなどの作業をしたが、青木は率先して働き、この仕事を続けたいと組合の職員に猛烈にアピールしたという。その甲斐あって一人だけもう半年の延長となった。組合にも信用されるようになってきたのである。

宿舎のメンバーはここで入れ替わったが、新たに集まったのは青木と志を同じくする若者たちだった。作業はきつかったが、刺激は大きく充実した毎日が続いた。ここで組合に欠員が出たため青木はようやく正規の作業員として採用され、同時に林野庁が制定した「緑の雇用」の第一期研修生になった。3年間の研修で林業マンへの道が開かれたのである。

青木の現場での強さは、すべて農大探検部で培われたものであった。並みの大学生活ではこうはゆかなかったであろう。森林組合で事務的な経験も積んで、20064月、青木は若い仲間たちと独立した。

東京チェンソーズの誕生である。メンバーは、水出健二(当時29歳、民間林業会社からアパレルを経て林業に戻った)。井上大輔(当時24歳、自動車関連から、機械整備に強い)。木田正人(当時39歳、雑誌ライターから、広報HP担当)。青木を含めて4人であった。森林組合で親しかった人の持つ古民家を事務所にしてのスタートである。独立は森林組合からも歓迎された。外注先を求めていたからである。当初はその請負だけだったが、独立したからには直接受注を目指したい。こうして東京都の4番目の「林業認定事業体」となった。元請として入札資格がとれたのである。個人山主からの受注を増やした。彼らはさらに一般への森に親しむ機会をつくることを考えた。その一つが「ツリークライミング」である。ロープを使って木に登る体験講習会は大盛況となった。またメンバー全員が「都民の森」のインストラクターとして、さまざまなイベントを開催している。秋川のキャンプも人気がある。

東京都の秘境といわれる桧原村の自然環境は素晴らしい。また伝統芸能にも積極的に参加している。村の住人になりきったのだ。メデアからの取材も増えた。2008年にはあらたに3人の若者が入ってきた。農大探検部の後輩もいる。外資系企業からもきた。また青木の妻泰子さんは同級生だった庭師である。力強い応援団だ。

巻末にある作家三浦しおんと青木の対談も楽しい。二人は同学年だという。
林業に向いている人とは想像力のある人という言葉が印象的であった。
「了」

     2012216日 吉澤有介

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