山下清の世界 2010年10月  福島 巖

夏蓼科高原に旅行した時ホテルのフロントに「山下清」の美術館が諏訪にあることを知った。
学生時代彼の動向が新聞紙上で話題になっていたことを思い出して是非訪ねたいと思った。

秋、山に行く途中諏訪インターで降りて茅野市にある「放浪美術館」に寄った。
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場所は町の郊外にあり、こぢんまりとした建物の中に140点の原画を展示している。館長さんとその奥さんに説明をしていただいて絵のすばらしさと清その人を再認識することができて楽しかった。彼の絵を新聞や写真では何回か見ていたが原画に接したのは今回が初めてである。

色々な紙をちぎって糊を付けて貼るわけだから表面が立体的になる。終戦後の物資不足の時代で高級な紙がなく不要になったものを集めて使用した。
強さと色の面で優れていた、見たことのあるお札も使われていた。
戦後の新札発行により旧紙幣が不要になりそれを利用したものである。

昆虫の目を表現するのに目のまぶたの線だけでも10枚の紙を、0.5mm幅に捻って、コヨリにして組み立てたという。
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絵は現在流行の3D表現そのものです。
右側は彼が海外にでかけて描いたオランダの風車ですが視点を右、中央、左と変えると見える風景が違ったものに変化する。

清は世界一の画家になると常に言っていたようだが世事にはうといが絵に関しては天才そのものだった。
ニューヨークタイムスが彼のことを東洋のゴッホと呼んでいたがゴッホを上回る作品を残していると思う。

ここ諏訪の地になぜ清の美術館ができたか?

彼の生活は陽気に合わせて日本全国を放浪して歩いた。
夏は信州や東北へ、冬は四国や九州へと渡り鳥のように移動した。
目的地に行くのにも道に迷わないように線路伝いにルートを選んだ。
リュックに必需品を詰め駅のベンチや神社の境内に仮宿をとる。
最も困るのは食料をどう確保するかである。
諏訪の地をよく訪ねたのは花火の魅力と彼を世話してくれる親切なおばさんがいたからで、清の好みをよく知っていてご飯を思いっきり食べさせてくれた。
その他にも大勢の世話焼きがいて彼にとっては居心地のよい場所だったようだ。
お金が無いのでお礼として描いた絵を手渡してきた。
たくさんの絵が民家の片隅に保存されていたが放浪美術館ができたのをキッカケにそれらの作品が美術館に集まってくるようになった。

放浪の清も絵が有名になるに従い陶磁器の絵付けや油絵、フェルトペンのデッサンなど制作分野を広げていった。
売れっ子になると超、急がしの生活になって放浪から脱出した、と同時に現代人気作家と同じような立場に縛り付けられてしまった。

彼の能力を見出して世に送り出したのは精神医式場隆三郎である。

全てお金に換算し、効率万能主義の現在、心が通い合って良いところをお互いに認め合う時代の雰囲気がここにあった。

是非チャンスがあったら訪問して清のすばらしい絵を見てください。

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