EU分裂の危機は、人間の生物学的宿命なのか 矢原 徹一2016.7.15Japan Business Press  

-「協力性の限界」を乗り越えるには -
国民投票の結果、英国の国民はEU離脱という道を選んだ。第2次大戦後、ヨーロッパに再び戦争を起こさないために各国が協力して築き上げた協力体制が、大きな転換点を迎えている。
この出来事は、国を越えた協力がいかに困難かを示すものだ。私たちはさまざまな組織を通じて互いに協力するが、この社会的協力にただ乗りする者(フリーライダー)や、協力の足をひっぱる者が必ず現れる。
私たちは、協力へのさまざまな妨害をどうすれば乗り越えることができるのだろうか。今回は、人間の協力行動に隠された謎を進化の観点から考えながら、社会における協力の未来について考えてみよう。
働き蜂はなぜ自分を犠牲にできるのか?
社会をつくって協力し合うのは、人間だけではない。ミツバチやアリなども、同じ巣で暮らす個体同士が協力し合う。その協力のレベルは極めて高いため、しばしば人間と比較される。
ミツバチやアリなどの社会は「真社会性」と呼ばれ、同じ巣で暮らす雌個体の間に、子どもを産む「女王」と、子どもを産まずに女王を助ける「ワーカー」(働き蜂、働き蟻など)という、「繁殖分業」がある。「ワーカー」は子どもを産まないだけでなく、ときには自らの命を犠牲にして、巣を守る。
このような不妊や自己犠牲は、自然淘汰による進化理論を築いたダーウィンを悩ませたテーマだ。ダーウィンの自然淘汰理論によれば、生物個体の間には適応度(生存力と繁殖力)の違いがあり、適応度の高い個体の性質がより頻繁に子孫に伝わるために、進化が起きる。この理論では、子どもを産まない(繁殖力がゼロの)個体や、他者のために自らの命を断つ個体が進化するはずがない。
ダーウィンは、子どもを産まないワーカーがどうやって進化したかという難問を解決するために、「家族淘汰」というアイデアを提唱した。
育種家が肉に霜降りの多い良質の牛を育種する過程を考えてみよう。肉の品質をチェックするには、牛を殺す必要がある。殺した牛を使って肉の品質を比べ、霜降りが多い個体を選んだら、育種家はその個体の家族を使って次世代を育てる。家族には同じ遺伝的性質が共有されているので、この方法で育種家は牛の肉の品質を改良できる。
同じことがミツバチでも起きたのだろうとダーウィンは考えた。女王とワーカーは親子であり、したがって同じ遺伝的性質を共有しているはずだ。このため、ワーカー自身が子どもを産まなくても、女王を助けることで女王の子どもの数が増えれば、結果として「家族全体」で残す子どもの数が増えるだろう。
こう考えれば、子どもを産まないワーカーの進化が説明できる。遺伝の法則が解明される前に、ほぼ正解に近い結論にたどりついたダーウィンの洞察力にはおそれいる。
利他行動が進化する条件
子どもを産まないワーカーの進化を説明する正確な理論は、1960年代になって、ウィリアム・ハミルトン(1936年-2000年)によって確立された。
ハミルトンは“現在のダーウィン”とも呼ばれるイギリスの進化生物学者、理論生物学者で、1993年には「包括適応度の提唱及び生物の社会性と協力の進化理論の確立」の功績で京都賞を受賞した人物だ。
ハミルトンはメンデル遺伝学の成果をもとに数学的な理論を組み立て、以下の条件があてはまれば自分の適応度を下げる利他行動が進化することを明らかにした。
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ここでbは利他行動によって相手が得る利益(benefit:相手の適応度の増加を意味する)、rは相手との血縁度(relatedness:遺伝子の共有確率)、cは利他行動のコスト(cost:自らの適応度の低下度を意味する)である。
遺伝子の伝達確率に関する複雑な数学的計算から導かれたこの式はきわめてシンプルで美しく、しかも深い真理を表現している。利他行動による血縁個体の適応度の増加(br)が自らの適応度の低下(c)を上回れば、利他行動は進化できるのだ。
この理論は、ミツバチのような真社会性の進化だけでなく、親が自らの命を犠牲にして子どもを助けるような利他行動の進化を一般的に説明する。この理論の登場によって、親が子どもを助けるのは「種族維持」のためだという説明の誤りが明確になった。
「種族維持」という考え方では、親が子どもを助ける「種族」(グループ)と、助けない「種族」(グループ)を比べ、前者が優れているために残り、後者が滅ぶことで進化が起きると考える(このような考えを「グループ淘汰」という)。
しかしよく考えてみよう。生物の性質を変化させる突然変異は個体に生じるものであり、「種族」を構成する個体の性質が同時に変化することはない。親が子どもを助ける「種族」が生じるには、親が子どもを助けるという性質をもつ個体が現れ、それが「種族」の中にひろがっていくプロセスが欠かせないのだ。
「グループ淘汰」ではこのプロセスを説明できない。一方で、ハミルトンの「血縁淘汰」理論は、このプロセスを明快に説明する。
人間は非血縁者になぜ協力するか?
狩猟採集社会の人間は、少数の家族が連合した社会で生活していた。したがって、家族同士が協力し合う行動は、血縁淘汰によって強化されただろう。
しかし、人間社会における協力は、血縁淘汰だけでは説明がつかない。血縁のない相手に対しても、人間は高い協力性を示すからだ。このような非血縁者への協力行動は、「互恵的利他行動」として進化したと考えられている。
「互恵的利他行動」とは、要するにwin-winの関係のことだ。互いに一緒に暮らす機会が多い相手なら、相手に協力することによって、相手からも協力を得ることが期待できる。このような「互恵的利他行動」は、20人程度からなる初期の狩猟採集社会において、自然淘汰によって強化されたと考えられる。
しかし、社会の生産力が高まり、人口が100人規模になると、協力した相手ともう一度顔を合わせる機会が大きく減る。
このような状況では、協力の恩恵は受けるが自分では協力しない者(いわゆるフリーライダー)が得をするようになる。このため、社会の構成員が増えるほど、社会全体での協力は困難になる。
人間は、この困難を言語によって乗り越えてきた。言語によるコミュニケーション能力を獲得したことで、人間は評判によって人物を判断できるようになった。
すなわち、「あいつは協力的で良いやつだ」という評判のある人間を信用し、「あいつは卑怯なやつだ」という評判のある人間を警戒することで、協力の見返りが期待できる相手とだけ協力行動をとることができるようになった。
このようなコミュニケーションの有用性から、人間にはゴシップを好む性質が進化した。誰かの行動に腹をたてれば、あなたは友人や同僚相手に悪口を言うだろう。また親切な行為を受ければ、「あいつは良いやつだ」と誰かに話すだろう。このような評判は、個人の成功を大きく左右し、進化的な観点では、適応度に影響する(評判が良い ことは、結婚してより多くの子孫を残す上でも有利に働くだろう)。
狩猟採集社会では、評判に加えて、利他行動を有利にする要因がもう1つあった。それは、ルールを守らない者への処罰だ。
狩猟採集社会は平等を重視する社会だった。狩りによって得た大型哺乳類の肉は、血縁者だけでなく非血縁者にも平等に分配された。大型哺乳類の肉は一家族だけでは食べきれない量である。それを互いに分け合うことで、自分の家族の狩りが失敗したときにも、肉を得ることができた。そしてこの分配のプロセスで、ズルが発覚すれば、処罰を受けた。
「評判」と「処罰」、この2つの仕組みが、狩猟採集社会において利他行動を進化させた主要因だったと考えられる。いずれも、人間が言語を獲得したことによって可能になったものだ。「処罰」は、言語によるルールが構成員間で共有されてはじめて成り立つ制度だ。
人間の性格因子に結びつく「評判」と「処罰」
この2つの仕組みに対応して、私たちの脳には、高度な報酬感受性と罰感受性が進化した。報酬感受性と罰感受性は多くの動物にみられるが、人間のそれは言語によるコミュニケーションと深く結び付いている点に特色がある。
人間の報酬感受性は主要な5つの性格因子(ビッグファイブ)※のうち「外向性」に対応するものであり、褒められると嬉しいという感情や、褒められたい、認められたいという要求(承認要求)と結びついている。
※ ビックファイブについてはこちらの記事を参照されたい:「『優れたリーダー』にはどんな性格が求められるのか?」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44235
一方で人間の罰感受性はビッグファイブのうち「情緒安定性」に対応し、ルールに違反して罰を受けることを恐れる感情や、失敗を恥かしく思う気持ちと結びついている。罰感受性が高いと情緒不安定、つまり神経質になる。
さらに、良い評判を獲得し、失敗をしないように、自分の行動を律する性質が進化した。この性質はビッグファイブのうち「良心性」に対応し、社会への忠誠心と結びついている。
また、血縁淘汰によって進化した家族への愛情は、友人や同僚という非血縁者への友情や信頼を抱く性質へと拡張された。この性質は、ビッグファイブのうち「協調性」に対応し、奉仕の精神やヒューマニズムと結びついている。
このように、私たち人間の主要な5つの性格因子(ビッグファイブ)のうち4つまでが、互恵的利他行動をより大きな社会で可能にする「評判」と「処罰」という仕組みによって進化したと考えられる。
人間社会とミツバチ社会の違い
これら4つの因子に支えられた人間の利他行動は、血縁淘汰によって進化したミツバチなどの利他行動とは大きく異なる。
ミツバチなどの社会は、繁殖分業によって成り立っている大きな家族だ。家族の構成員は平等ではない。繁殖するのは1~数個体の女王だけであり、他の個体(ワーカー)は、女王を助けるために生きている。それは社会というよりもむしろ「超個体」だ。
ワーカーは、個体を構成する個々の細胞と同様に、強く統合された組織体の一部であり、「巣を維持する」という全体の目的にしたがって生きているだけだ。
これに対して人間の社会は、労働分業によって成り立っている、たくさんの家族の集合体だ。その初期状態である狩猟採集社会では、構成員は、どの女性も子孫を残すことができ、どのメンバーにも食料が分配されるという点で、平等だった。
社会における協力行動は、報酬感受性(外向性)・罰感受性(情緒安定性、または神経質)・良心性・協調性という4つの性質に支えられた各個体の意志決定によって成り立つものだ。各個体は、「評判」と「処罰」を気にして社会のルールに従うが、一方で自分自身の子孫を残すという利己的な目的をもって生きている。
ミツバチなどと違って、人間の狩猟採集社会は複数の家族が連合した社会であり、同じ部族の中には女性だけでなく男性も暮らしていた。そして、女性をめぐって、男性どうしは激しく競争する関係にあった。近親交配を避けるために、女性は同じ家族の男性との結婚を禁じられていたので、他の部族の女性は男性にとって魅力的な存在だった。
一方で、他の部族の男性は、女性をめぐる強力なライバルだった。おそらくこの事情のために、他の部族の男性を襲って殺すという血なまぐさい習慣(首狩り)が発達した。狩猟採集社会に関する研究から、他の部族男性の「首狩り」に成功した男性ほど女性に配偶者として選ばれやすいという、あまり信じたくない事実が報告されている。
「首狩り」への成功は、多くの動物に見られるオス間の闘争と同様に、男性の能力を女性に誇示するシグナルとしての意味を持っていたと考えられる。こうして、狩猟採集時代の人間社会においては、「評判」と「処罰」の下で協力し合う高度な協調性と、他の部族の男性を襲う暴力性の両方が進化した。私たちの心の中にはこのように、進化の結果として生まれた善と悪がひそんでいる。
交易を通じた協力行動の発達
狩猟採集社会における人間行動の進化を考える上で、もう1つ重要な要因がある。それは労働分業と交換・交易だ。
最初の労働分業は、男女の間で行われただろう。男性は狩りなどの力を要する仕事を担当し、女性は種子採集などのさほど力の要らない仕事を担当し、互いの成果を共有した。このような分業は、やがて部族間の交易に発展した。
言語を獲得した人間は、さまざまなイノベーションを生み出す能力を身につけ、その結果、部族によって異なる「商品」(グッズ)を手にした。ある部族は黒曜石を発見して矢尻を作り、他の部族は貝殻から釣り針を作った。そして、このような「商品」を交換するようになった。
このような「交易」は協力行動だが、利他行動ではない。利他行動とは、自分を犠牲にして(自分の適応度を下げて)相手に協力する行動だが、交易の過程では自分を犠牲にする必要はない。自分たちの部族で必要とされる以上の矢尻や釣り針を生産できれば、それらを他部族が開発したグッズと交換することで、自分の適応度を下げることなく、生存や繁殖に役立つ利益を得ることができる。
利他行動の進化が難しいのは、自分の適応度を下げてしまうからだ。自己犠牲的な行動は、それを上回る何らかの利益(血縁者の利益や互恵的利益)がない限り、進化できないのだ。しかし、交易を通じた協力行動には、自己犠牲は必要ない。したがって、交易は部族間の協力行動を発展させる大きな駆動因になったはずだ。
遺跡に証拠が残っている矢尻や釣り針などに加えて、おそらく「知識」は交易上の価値を持っていたに違いない。例えば、食べられる植物と有毒植物の見分け方、ヒョウタンの果実から果肉を抜いて水筒を作る方法、効率の良い火のおこし方、などの「知識」は、知らない者にとっては大きな価値がある。これらの「知識」の交換は、部族内の協力行動として頻繁に行われたはずだ。さらに、有用な知識を教える代わりに、黒曜石の矢尻をもらうというような部族間の交易もあったに違いない。
このような交易においては、うそをつかないことが重要だ。うそを教えたり、役に立たない商品を誇大宣伝して売りつけたりすれば、恨みを買って襲われたり、二度と交易の相手にされないという「処罰」がなされたはずだ。このようなプロセスは「商道徳」の発展を通じて、人間の良心性(ルールを守ろうとする性質)の強化に役立っただろう。
優れた科学ジャーナリストであるマット・リドレーは『繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)で人間の協力行動の発達における交易の重要性を強調しているが、彼の主張はとても納得がいくものである。
このような交易の有用性はあまりにも自明なので、進化生物学者の間ではあまり研究されていない。進化生物学者の主要な関心は、より説明が困難な自己犠牲的な利他行動にある。しかし、言語を使える人間が物品や知識の交換を通じて協力行動を発展させたプロセスは、人間の高い協力性を進化させた背景として、とても重要なものだ。
大規模集団における協力の難しさ
人間の協力性は、報酬感受性(外向性)・罰感受性(情緒安定性、または神経質)・良心性・協調性・開放性という5つの性格因子に支えられている。5番目の因子「開放性」は、外の世界に関心を持って知識を得ようとする性質であり、知識と創造性の源泉である。これらの性質は、平均して20人程度の少人数で暮らす狩猟採集社会で進化したものだ。
ところが人間集団が特定の場所に定住して農業による生活を始め、人口が増加すると、大規模な集団での協力が必要となった。しかし5つの性格因子と「評判」「報酬」「商道徳」に支えられた協力行動は、せいぜい100人程度の小集団でしか機能しない。より大きな集団における協力を維持するには、盗み・不正などの反社会的行動を抑制し、社会における協力を安定させるためのより複雑なルールと、そのルールの実行を監視する仕組みが必要だ。
そこで生まれたのが、警察・軍隊による治安活動を伴う法治国家だ。また、人間(とくに男性)には「首狩り」に象徴される暴力性が備わっている。ひとたび軍事力を持つ国家が成立すると、他の部族や国家の有用な技術や資源を軍事力によって奪うという戦争行為が発生した。
その後の人類が、領土や資源をめぐる戦争を繰り返してきたことは、説明の必要がないだろう。次第に国家の規模が拡大し、いくつかの帝国が生まれたが、大きな帝国を維持することは容易ではなく、大きな帝国が滅び、より小さな国家に分裂するという歴史を繰り返してきた。
いま、EUという大きな国家連合体に分裂の危機が訪れている。アメリカ合衆国の世界支配力にも陰りが見え、孤立主義を主張するトランプ氏が支持を集めている。これらの現象は、生物学的な視点で見れば、私たち人間の協力性がそもそも大規模な国家を維持するようにはできていないことに起因している。それでも私たち人類は、多くの試行錯誤を重ねながら、より協力的でより平和な社会を築いてきた。
スティーブン・ピンカーが名著『暴力の人類史』(原題:The Better Angels of Our Nature)で喝破したように、この歴史的な成功を支えているのは、共感、自制心、道徳的感情、理性という4つの善性(天使:Angel)であり、中でも理性の役割が大きい。ビッグファイブの用語を用いれば、共感は協調性、自制心は良心性、道徳的感情は報酬感受性と罰感受性に対応し、そして理性を支えるのは開放性によってもたらされる知識だ。
共感、自制心、道徳的感情が及ぶ範囲はほとんど小集団に限られているが、理性は国家を越えた強い影響力を持ち得る。共感、自制心、道徳的感情の助けは必要だが、最終的には理性だけが、国家間の難問を解決できる可能性を持っている。
EUにはさまざまな課題があるが、二度と戦争を起こさないという大きな目標の下でヨーロッパ諸国が国家を越えた協力行動を積み重ねてきた歴史は、人類全体にとって希望が持てるチャレンジだ。英国の国民投票の結果を受けて、これからEU関係者の間で、より良い未来に向かってさまざまな理性的努力が続けられるだろう。
英国の失敗は、国民投票という1回だけの意思決定行為で、大きな歴史的選択をしてしまったことにある。理性的判断には時間がかかるので、時間をかけてスロー・ポリティクス※を行うべきだという哲学者ジョセフ・ヒースの主張に、私たちは真剣に耳を傾ける必要がある。
※ スロー・ポリティクスについては、こちらの記事を参照されたい:「美女の誘惑に『即イエス』の決断は正しいのか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45736
矢原 徹一
九州大学大学院理学研究院教授・持続可能な社会のための決断科学センター長。1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部卒業。京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。東京大学理学部附属植物園助手、東京大学理学部附属植物園日光分園講師、東京大学教養学部助教授、九州大学理学部教授を経て、2000年より現職。専門は生態学・進化生物学。著書に『花の性―その進化を探る』『保全生態学入門─遺伝子から景観まで』(共著)など。ブログ「空飛ぶ教授のエコロジー日記」はこちら。

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