「川はどうしてできるのか」 藤岡換太郎 2015年2月25日 吉澤有介

― 地球のミステリーツアーへようこそ ―
著者の「山はどうしてできるのか」と、「海はどうしてできたのか」の連作は、さきに要約してお届けしましたが、今回は「川」の話です。
私たち日本人は、昔から川と深くなじんできました。海のない県はあっても、川のない県はありません。
多くの歌や文学などでも親しまれてきました。しかし学問の対象としては、あまり研究されていないそうです。確かに、川のなりたちを知るのは容易なことではありません。証拠がほとんど残っていないからです。しかし地形図をみると、実に奇妙な川があることに驚かされます。黄河と揚子江は、中国を代表する大河ですが、その流路はとても謎めいています。
源流はごく近いところなのに、中流で黄河は北に、揚子江は南に大きく迂回して海に注いでいるのです。そのわけは、中国大陸が一つのプレートではなくて、30数億年前にいくつもの大陸が衝突してくっついたためでした。その地塊の境界線が流路になっていたのです。揚子江はまた、インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突という地球的規模の大変動にも影響されていました。中国雲南省にシャングリラとして知られる地域がありますが、その80km幅という極めて狭い場所に、メコン川、タルウィン川という二つの大河とともに、3000mの高度差のある山脈に隔てられた大峡谷として平行に流れ、「三江併流地域」と呼ばれています。
インドに押し上げられ、狭い地域に押し込まれたからでした。
この大地殻変動で生まれたヒマラヤは、東西3000km、幅200km、標高8000mもある巨大山脈ですが、そこにも実に不思議な川があります。なんとこの高い山脈を乗り越えて南に流れている川が、少なくとも4本もあるのです。その謎は、それらの川が、山脈ができる前から存在していたためとみられています。
およそ4300万年前にヒマラヤが隆起しはじめたときにも、河床を削り続けて流れていたというわけです。
その後に生まれたインダス川などは、山脈を越えられずに迂回して南に流れるしかありませんでした。
このように川の流れは、地殻の変動を見事に表しています。日本列島でも四国の吉野川は、阿波池田のあたりで突然直角にずれています。これは日本最大の断層、中央構造線のせいでした。
伊豆半島の付け根にある柿沢川も、丹那断層で1kmも南にずれています。伊豆半島の衝突で、丹沢山地が隆起しましたが、これもヒマラヤの誕生と同じ現象でした。本書によると、川にはさまざまなタイプがあって興味はつきません。その中でも著者は、天竜川について大胆な仮説を述べています。源流とされている諏訪湖が、天竜川より新しいことがわかりました。塩尻市にある中央分水嶺である善知鳥峠も新しい。
となれば元の天竜川は、もっと北の犀川からさらに信濃川につながっていた可能性があるというのです。
その流れは北から南でしょうから、源流はさらに北です。日本列島はかってシベリヤ大陸の一部でした。
ウラジオストクの近くにウスリー川があります。日本海が成立したことで、ウスリー川と信濃川の間が水没し、フォッサマグナによって信濃川と天竜川が引き裂かれ、中央アルプスが隆起して善知鳥峠が分水嶺になった。なんとも壮大な仮説ですが、著者はなかば本気なのだそうです。地球科学への興味は増すばかりでした。「了」

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