年商50億を稼ぐ村上農園の「脳業革命」片山修著2014年6月28日吉澤有介

   なぜ「農業」でなく、「脳業」なのか。機能性野菜のパイオニアである村上農園は、旧来の農業から、ブレーンビジネスとしての「脳業」をめざしています。この機能性野菜という言葉を使って、国内ではじめて商品化したのが村上農園でした。。機能性野菜とは、本来の野菜には含まれていない、またはごく微量にしか含まれていない成分を、人の手によって含有率を格段に高めた野菜のことで、高齢化や人々の健康志向で注目を集めています。

 「機能性」の中に植物に由来する化学物質「フィトケミカル」がありますが、これが健康にいい影響があるというのです。例えば緑茶に含まれる「カテキン」、大豆に多い「イソフラボン」などがよく知られています。村上農園では、ブロッコリースプラウトの「スルフォラファン」の含有率を高めました。がん予防や、ピロリ菌の除去に期待されている成分です。それをオランダに学んだ近代的な植物工場で厳しく管理し、安定した品質で年間を通じて全国に出荷しています。さらに世界に通用するブランドを確立して、2020年代に年商100億を目指すといいますから、村上農園にとって農業はまさに成長産業なのです。

 しかし村上農園のこれまでの道筋は多難なものでした。創業者の村上ナヲヨは、地主の長女に生まれましたが、早くに夫を亡くし、広島市内にあった僅かな土地で生計を立てるため、当時大阪などの高級料亭で出されていた刺身のツマの紅タデに着目しました。シソ科の植物の発芽栽培です。農業を全く知らなかったので、初めからビジネスとして創業したのです。今でいうベンチャーの先駆者でした。1939年のことです。息子の秋人(現会長)は千葉高等園芸(現千葉大)に進んだものの、召集で帰省したときに原爆に遭い、奇跡的に助かりました。戦後、秋人は農業と離れて針の製造や二輪車の販売などでビジネスを経験したあと、母と同じ紅タデ事業を始め、やがて母の死去で村上農園を継ぎました。農業に工業の視点を持ち込んで生産品目も転換し、発芽野菜のかいわれ大根を主力として、特殊なマットを使った水耕栽培技術を開発、79年に生産を本格的にスタートしたのです。

 当時かいわれ大根は高級食材でしたが、ビジネスとしての市場が小さい。新たな市場を開拓するため戦略を練り、寿司の「かいわれ巻き」を発案して大ヒットしました。販売ルートも公設市場を通すなど、革新的な経営を進めました。そこへ広島大学時代からアルバイトに来ていた親戚の清貴(現社長)が、10年あまり勤務したリクルートから入社したのです。32歳のことでした。徹底した現場主義を貫く、この最先端のビジネスマンの入社は、村上農園の近代化に大きく貢献して、後継体制がここで確立したのです。当社の最大のピンチは、96年7月に発生したO-157集団中毒事件でした。「かいわれ」が首犯とされ、風評被害が拡大して、出荷額は一時18%まで落ち込んだのです。その急場を救ったのが、商品開発力でした。前向きな発想を貫く清貴と、かねて採用していた異色の人材たちによって、豆苗が新たな主力に躍り出ました。スーパースプラウトの商品化です。全国に展開する生産と販売には、パート出身のベテランや、若いリケジョたちの活躍がありました。このルポは、新しい農業のきっと良い手引きとなることでしょう。「了」

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