「人類哲学序説」梅原猛著 2014年1月8日 吉澤有介

   これは現代最高の哲学者、梅原猛先生が壮大な思想を提唱されたその序説です。当然のことながらその内容は、私どもにはとても要約などできるレベルではありませんが、せめてその一端なりとも記憶に残したいものと考えました。拙いメモですがご容赦ください。

 先生は40歳まで主として西洋哲学を研究してきました。そしてそれ以降は日本文化についての研究に移りました。いわゆる「梅原日本学」です。なぜ転向したかといえば、日本文化の中に、西洋文明の行き詰まりを解決し、新しい人類の指針となるヒントがあると考えたからでした。その模索の中で、天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」に行き着いたのです。これは本家のインドにはなく、中国の道教に現れたものの主流にはなれず、日本文化ではじめて明確な根本思想となりました。日本には縄文以来の深層文化があったからです。その大元は狩猟採集文化でしょう。とすれば人類として世界共通のはずです。それがなぜ現在の西洋文化となって、人類存亡の危機を迎えているかを問わなければなりません。

 現在の科学技術文明の基礎は、デカルトによってつくられました。その「方法序説」では、肉体を離れた精神、理性を第一原理としています。自然世界も数式によって表現された法則によって機械的に把握されるとしました。その思想が近代科学技術文明を基礎づける理論になったのです。その恩恵は確かに素晴らしいものでした。しかしそれは抽象的世界観なのです。自然を征服するためのものでした。「思惟するわれ」は思惟する機械であり、そこには肉体がない。つまり生物としての歴史を持たないということでもあります。全くの無機質ですから、一種の抽象世界である。自然は征服して人間のための召使にできると考えました。400年後の先進国の人たちは、その恩恵をフルに受けて暮らしています。

 しかし一方で人間以外の、動物の立場でこの文明を眺めてみたらどうでしょうか。動物にとって、このような文明ほど残酷なものはありません。いったいどれだけの動植物が人間のせいで絶滅したことか。この文明の思想は、地球環境に深刻な影響を与えています。やがて人類をも滅ぼすことでしょう。このような時代に、生きとし生けるものすべてと共存する哲学が、人類の哲学の根本にならなければなりません。先生は、その人類哲学こそが「草木国土悉皆成仏」の思想であると確信しました。デカルト哲学ではないのです。
 西洋哲学ではデカルト以後、ニーチェやハイデッガーが出て大きな影響を与えました。先生は簡潔に解説していますが、その内容はとても歯の立つレベルではありません。ただ両者とも、理性というものの本質は実は意志だと考えていたといいます。とくにハイデッガーは、現代は凶暴な意志が世界を支配していると主張しました。何か肝心なものが欠けた「乏しき時代」だというのです。その源流は、古代ギリシャの自然哲学でした。しかしそのギリシャの自然は古代から極度に破壊されています。そしてそこにはなぜか太陽信仰がありません。エジプトと日本にはある。これはたいへん重要なことでしょう。本書では、最後に「森の思想」が登場します。鎮守の森も含めて、日本文化の原理が「草木国土悉皆成仏」にあり、そこから誕生した人類哲学こそが地球と人類を救うとのことでした。「了」

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