「人類大移動」印東道子 2013年1月26日 吉澤有介

  アフリカからイースター島へ 

 今から20年以上前に、人類の移動を探る総合的なプロジェクトが、、世界に先駆けて日本で実施されました。考古学をはじめ、古地理学、古生物学、古環境学、人類学、遺伝学などの研究者が集まり、先史時代の人類の移動を明らかにした画期的な研究でした。その成果は、同じ朝日選書の「モンゴロイドの道」(1995年)として刊行されています。

 本書は、その後の遺伝学などの長足の進歩を踏まえて、再度、人類の移動を全地球規模で考えた、国立民族博物館の共同研究「人類の移動史ー進化の観点から」をもとに、最新の知見を紹介した好著です。図版も多いので、多くの示唆が得られることでしょう。

 人類がアフリカで誕生してから700万年がたちました。その間、猿人や原人、旧人などが現れては消え、20万年前に誕生した新人(ホモサピエンス)が、現在地球上に暮らす人類すべての祖先になりました。現代人の全遺伝子配列の解読によって、ミトコンドリア・イブに辿りついたのです。アフリカで進化した人類は、やがてアジアへと広がってゆきました。最初の出アフリカはおよそ180万年前の原人で、北京やジャワに痕跡を残しています。2度目は100万~50万年前でした。そして新人の移動が、それまでにない環境適応能力によって、飛躍的に広範囲に及んだのです。人類はアフリカからどこを通って出たのか。その時期はいつ頃か、先人たちとの出会いと交代、氷河期末の極寒のシベリアや、アメリカ大陸への移動の経路、オセアニアへの最初の航海などが次々に解明されてゆきます。

 また日本列島人をDNAから分類して、大多数の日本人が分布する本土クラスターの、琉球、韓国、中国海岸部との近縁性、それぞれの混血クラスターの位置がわかりました。なお本土のうち東北地方が特異な位置にあることなども明らかになっています。日本人の二重構造説にある縄文・弥生の出会いと共存から一体化という経過を示すものでした。
 ところでなぜ人類はアフリカを出たのでしょうか。その前に、なぜアフリカで誕生したのか。それはアフリカ大陸の地誌と気候変動、さらに哺乳動物の進化の歴史からヒントが得られるとしています。現在、地球上にはアジア、南米、アフリカと、三つの大きな熱帯雨林がありますが、その中でアフリカが一番小さく、年間降水量も少ない。その中央にある大地溝帯東側の台地が、人類誕生の舞台でした。寒冷化で乾燥し、森林が分断されましたが、サルは植物の消化能力が高く、植物の被食防衛のためのリグニンやタンニンなども苦にしないので、小さくなった森でもそのまま繁栄できました。、一方、類人猿たちは食べやすい果実に頼っていたので、減少した果実を求めて移動しなければなりません。食料不足で、類人猿の多くは絶滅してしまいました。しかし自ら採食技術を開発した種がありました。根菜に昆虫や小型動物などの各種の補助食品で食いつなぎ、さらに道具を使い始めたのです。効率の良い食生活ができるようになりました。人類には、子育てや社交の時間も生まれ、食料は仲間に分配します。これは他の類人猿と違う大きな特徴でした。脳が発達し、集団の智恵で行動範囲も拡大しました。違った環境にも立ち向かう自信を持った、その集団の運動エネルギーが、新天地を目指す出アフリカの原動力になったのです。「了」

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