水を守りに、森へ  水について 山田 健   筑摩選書  

地下水の持続可能性を求めて  はじめに――――その水は、持続可能な水ですか? 

小学校六年生の夏休みのことだ。当時、郷土部というクラブに属していたぼくは、生まれた町の歴史を調べていた。ぼくのふるさとの町には、「湯の河原」という意味の名前がついている。そして、その名の通り、江戸時代までは、町を流れる川には温泉が湧き出ていた。ところが、明治に入って、井戸を掘削する新技術が入ってくるや、川の湧き湯のすぐ上流で、一見の宿が温泉井戸を掘り始めたというのである。水源のすぐ上の井戸から湯を抜いてしまったのだ。川の湧き湯は、あっけなく涸れてしまった。以後、「湯の河原」はただの「水河原」になってしまった。

「だったら、町名を変えなきゃいかんだろ」そう思ったのは、六年生のぼくである。川湯がなくなれば、湯治の客は、当然、温泉宿に集中する。宿の繁盛を見てやっかんだ他の業者は、案の定さらに上流に井戸を掘り、最初の井戸を涸れさせた。あとは、ご想像の通りである。井戸は、時代とともに上流に移っていき、いまやかっての温泉場に元湯はほとんどなくなり、谷の奥の最上流の源泉からパイプで温泉を引かざるをえなくなっている。「バッカじゃないの」と、六年生の僕は思った。やれば、やり返されるという、こんな単純なことが、どうして分からないのだろう。深いところで郷土愛にダメ―ジを受けてしまったぼくは、以後、郷土部の活動に情熱を持てなくなり、幽霊部員と化していく。ま、当然だったろうなと、今考えても、そう思う。

その暗い記憶がよみがえったのは、二十世紀という欲ボケの時代が終わり、二十一世紀という、ツケの清算―――人類をあげて、前世期の借金から逃げ回る時代に移り変わったころのことだった。  1978年.大学を出たぼくは、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社した。ウイスキー、ワイン、ブランデー、音楽、文化、愛鳥・・・・と、それこそ多種多様な分野の広告をてがけ、その傍らでワインの本を書いたりしていたのだけれど、それらの木が得意とする分野は、いつのまにか、会社の中では非主流になっていた。二十世紀の終わりころには、(一応、会社の勉強をそして入ってきているはずの)新入社員でさえ、「え、サントリーって、お酒もつくってたんですか?」なんてことを、あっけらかんと言える時代に変わっていたのである。となると、新たな主流である天然水やお茶、コーヒー、ビールなどの仕事をまるでやっていないというのは、いかにも、不利である。生活防衛のためには、そちらのほうも、多少は勉強しなけりゃまずいでしょ、と僕は考えたわけだ。そして、さっそく、びっくりするような事実に出会ってしまったのである。

サントリーは、「地下水」に、驚くほどに依存している会社だったのだ。いまさら、そんなことを言ったら、「お前は、自分の会社のそんな重要なことも知らなかったのか!!」と怒られそうだけれど、すみません。知りませんでした。多くのビール会社や清涼飲料会社は、川に水や工業用水、水道水などを浄化して、製品の原料にしている。従って、それらの向上は、基本的に物流のよい場所に立地している。原料を運びこんだり、出来た製品を出荷するためには、高速道路に近いところとか、海辺の港のそばなどの方が便利なのは、言うまでもないだろう。ところが、サントリーの工場は、しばしば、とんでもない不便なところにあったりする。要は、良質な地下水が豊富にある場所を第一条件にして工場立地を選んでいるからなのだ。かって日本で最初のウイスキー生産に乗り出した時、仕込み水に最適な地下水を探して、全国を調べて回った際の経験が、企業のDNAによほど深く刻みこまれてしまったのだろうと思われる。それにしても、これほど地下水に依存しきっているとは、正直なところ、驚きだった。小学生の時の記憶が、いきなり蘇ってきたのは、この時だったのである。ほとんどすべての工場が地下水に依存しているということは、地下水はサントリーの生命線に他ならないではないか!!では、その生命線を守るために、この会社はなんらかの手を打っているのだろうか。もちろん、使っている地下水の「安全性」に関しては、世界でも最優先の注意をはらっていた。社内に安全性科学センターという部署を設け、国の検査機関と同等あるいはそれ以上の厳しい基準を設けて、定期的な品質チェックを行っていた。地下水保全のためには、周辺の環境影響調査を行い、地下水位の定期的な検査を行い、きちんとした取水制限も守っていた。その部分は、正直ホッとしたのだけれど、しかし、まあ、そんなことは、まっとうな食品会社としては、当然の義務だろう。

問題は、地下水がながれてくる川上である。どこに降った雨が、どういうルートを通り、どのくらいの歳月をかけて工場の地下にまでたどりついているのかを知り、そこでのリスクを回避することではないのか。そこで手が打たれていなければ、最悪の場合、故郷の温泉宿で起こったようなタワケタ事態が、いつ起こらないとも限らないということだ。これは、大変なことなのではないだろうか。こんな事態が放置されていて、いいわけがない。 

[やってみなはれ]の心さっそく僕は、仲間たちを糾合して、企画書を練り始めた。集まったのは、コピーの川畑博、デザインの堀内恭司、中野直である。コピーライターや出材ない―が事業提案するというのは、一般企業の常識からすると奇異な感じをうけるかもしれないけれど、そういうところも、この会社の面白いところで、結構、自由自在なのである。で、その結果、みんなの脳髄からひねり出されたアイデアが、「サントリー天然水の森」だったのである。「天然水の森」とは、簡単に言ってしまえば、全ての工場の水源涵養エリアで、「工場で汲みあげている地下水」以上の水を「森で涵養」しようという提案である。この事業が実現すれば、少なくとも「量」に関する限り、サントリーの地下水利用は持続可能なものになる。(ちなみに、質的なリスクに関しては、後に社内に設置されることになる水科学研究所が取り組むことになるのだが、それはまた、別のお話である)。この提案の「キモ」は、この活動は、社会貢献とかボランティアではないという明確な位置づけにある。地下水という天然資源に全面的に頼っている会社が、資源の持続可能性を守るのは、当然の義務だろう。だったら、その義務を、「基幹事業」のひとつとして、粛々とはたしましょうよ、とプレゼンテーションする事にしたのである。この精神は、いまも変わっていない。活動の広がりとともに、「副産物」として、社会貢献的側面も広がりつつはあるけれど、その本質は、やはり、「やるべきことを、当たり前にやりましょう」という姿勢にある。それにしても、林業なんか、誰ひとり知らない会社で、こんな提案が通るものかね、と、内心疑いながらのプレゼンテーションだったのだけれど、「おもしろいやないか、やってみなはれ」社長の鶴の一声で、なんとあっけなく、通ってしまったのである。

ちなみに、わが社の社風は、この「やってみなはれ」という、一言に象徴されている。創業者・鳥井信治郎が、ある時、ご飯の上にヨウカンを載せて食べていた。ヨウカンどんぶりである。そのあまりに気味悪い組み合わせに驚いた番頭さんが、「そ、そんなもの、うもうおまんのか?」うわずった声で聞いたところ、信冶郎、あわてず騒がず、「やってみなはれ」そう、うそぶいたのだという。この時に、以後のわが社の歴史を貫くことになる「やってみなはれ精神」が誕生したのだという、なんとも腰がくだけそうになる伝説が伝わっているのだけれど、その心は正確に伝わってくる。一見、どんなに荒唐無稽に思える企画でも、「やってみな分からしまへんで」ということだ。つまりは、社員の新しい挑戦を積極的に応援しようということで、孫にあたる現社長も、さかんにこの一言を口にする。そういうわけで、そのころはまだ誰も(社長も含めて)、目標面積が7000ヘクタール超(東京山手線の内側以上、大阪の環状線の内側のほぼ二倍)なっていう、とんでもない面積になることも、日本の森が想像以上に荒れていて、次から次へと難問が降りかかってくることになるなんて、予想もしていなかったのである。素人の怖いもの知らずだったと言うほかにない。

あとがきに代えて――――もっともっと、企業の力を 

7000ヘクタール超の森林整備を始めてみて、いまつくづく思っているのは、(逆説的に聞こえるかも知れないけれど)7000ヘクタールという森の小ささであり、一企業の力の限界である。日本の森は、本当に危ないところに来ている。この広大な森を救うためには、国の力や自治体の力だけでは、到底足りない。各地のボランティアは頑張っているけれど、量的な意味では、いかんせん、限界がある。やはり、出来る限り多くの企業に、発想の転換をしてもらい、森に目を向けてもらうしかない、と思うのは、企業に勤める者の傲慢だろうか。

発想の転換とは、他でもない。「社会貢献から、本業へ」という、まさに、われわれが「天然水の森」で行ったと同じ頭の切り替えである。要は、それぞれの会社が、本業に近いところで、森や自然と向き合えばいいじゃないか、という提案である。実のところ、「天然水の森」には、お手本があった。気仙沼で、「森は海の恋人」を合言葉に、漁師の森づくりをしている畠山重篤さんである。カキの養殖を業にしている畠山さんは、ある時、海が痩せたのは、山が痩せたからだという直観に打たれ、山にドングリを植え始めた。そして、この活動が、後に、全国の「漁民の森づくり運動」につながっていく。(ご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、畠山さんの養殖場は、震災で壊滅的な打撃を受けられた。心よりお見舞い申し上げたい。すでに、復興に向けての新たな歩みを始めており、我々も、微力ながらお手伝いしたいと願っている。畠山さんという強力なリーダーが立ち上がることは、東北全体への牽引車になるはずである。大変でしょうが、ぜひ頑張ってください。)畠山さんが自ら見せて下さったように、漁師が自分の海のために山に行くという、この発想には、ひとつも無理が無い。われわれの会社の「水と生きる」というコーポレートメッセージには、「漁師が海と生き、農民が土と生きるように、われわれサントリーは水と生きようと思う」という意味あいがあった。

水に生かされている会社が、水とともに生き、水を守る活動をするのは、当たり前だ、という思いである。それを一般化するならば、同じ様に大量の地下水を汲み上げている機械メーカーの皆さんが水源の森を守ったり、ダムの水に依存している電力会社や食品メーカーの皆さんが、ダム湖の水源の森を守ったり、ダムの湖底に溜まった土砂を浚渫するのに協力すると言った活動をするのは、極めて自然な様に思える。山が荒れてダメージをうけるのは、地下水だけではない。森からの土壌流出で、ダム湖への土砂流入量が増えれば、ダムの耐用年数は想定よりもはるかに短くなってしまうだろうし、表土が持つ栄養がダムに流れ込めば、富栄養化によりアオコの大発生を呼び、水質悪化を招く危険性もある。電力会社さんにとっても、食品メーカーさんにとっても、他人事ではないのである。十年前の状況に比べれば、山を守るためにどんな整備をすればいいかは、かなり見え始めている。試行錯誤の時代がそろそろ終わり、実践の時代に入ろうとしているのだと言っていい。この実践に道を、ともに、歩んでくださる同志の合流を、心より願ってやまない。                                     (了)    要約  渡辺正樹  2012115 

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