「日本発掘」ここまでわかった日本の歴史 文化庁編2015年7月12日 吉澤有介

本書は、文化庁主催「発掘された日本列島」展20周年を記念して江戸東京博物館で開催された、7人の専門家による講演会をまとめたものです。この1995年に始まった展示会では、多くの新発見の成果が発表されましたが、残念ながら2000年には旧石器発掘の捏造事件もあって、社会的にも大きな問題となりました。その厳しい現実を乗り越えて、全国的な体制を整えた関係者の努力はたいへんなものだったそうです。現在、遺跡の発掘はますます盛んになり、その保護システムも充実してきました。考古学は謎解きの学問といわれます。7人の研究者は、自身の生い立ちから最近の成果までを楽しく語ってくれました。
旧石器時代は、小野昭さんによると氷河期にあたるおよそ4万年前からだそうです。たぶん朝鮮半島経由が主と思われますが、その頃からもう黒曜石が海を越えて広範囲に流通していました。確実に船があったのです。さらに獲物をとる落とし穴が、各地の遺跡で多数見つかっています。これは日本だけの文化で、半定住の暮しがあったらしいのです。
縄文時代は石川達雄さんが、青森県外ヶ浜から出た日本列島最古の土器を、約1万5千年前としました。これは世界で最古の土器です。それをつくった縄文時代は、定住するムラの始まりで、老人の知恵を伝える大きな革命でした。ムラを取り巻くハラと、その奥にある緑豊かな山は、独自の文化を形成しました。人々は多彩なモニュメントをつくり、さらに華麗な装飾のある火炎土器をつくりました。突起のある土器は日本だけなのです。次の東京オリンピックの聖火台のデザインには、火炎土器が一番ではないでしょうか。
弥生時代は石川日出志さんで、その開始年代が従来はBC5世紀とされていたのに、福岡市の遺跡が放射性炭素年代測定法でBC10世紀とわかって学会が騒然となっているそうです。
ムラの構造も次第に明らかになってきました。環濠集落が特徴ですが、福岡市那珂遺跡では2世紀ころにムラがいっせいに再編されていました。そのまま古墳時代につながっています。同じ頃に奈良でも纏向遺跡が突如出現しています。青銅器の始まりも北九州や近畿だけでない。熊本や福井、和歌山など各地で鋳型が見つかりました。吉野ケ里で銅鐸が出てこれまでの銅鐸、銅矛などの文化圏の定説が覆ってしまったのです。青銅器の埋設は、山陰、北陸、信州などの各地でも同じ状態で、儀礼行為が広く定式化していたとみられます。伊都国の遺跡も発掘調査が進み、その実態が明らかになってきました。早大の渡辺さんは、重大なことを指摘しています。魏志倭人伝にある「大率」が、魏の「刺史」であることから、これは地方におく職であり、女王国の都は九州より遠くにあったと断言しました。
出雲や吉備についても有力者の連携は明らかで、古墳時代開幕直前の政治形態の変革は、近畿や九州より早く中国地方で胎動し、東日本も含めて各地に拡がったらしいのです。
古墳時代は大塚初重さんが、まず土器の動きに注目して、2~3世紀の日本列島に活発な人の交流があったこと、三角縁神獣鏡がヤマト政権と深い関係があって、前期古墳に多く副葬されたとしました。地方での新発見も多く、新潟胎内市の城の山古墳、群馬渋川市の火山灰下の遺跡や、大阪の馬の飼育遺構も驚きです。刺激的なお話が満載でした。「了」

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