「北からの世界史」宮崎正勝著 2014年3月3日 吉澤有介

   最近、地球の温暖化の影響で北極海の氷が溶けかけているそうです。そのため北極海に航路が開ける可能性が出てきました。北極を中心にした地図をみると、北極海は意外に狭く、ロシアのシベリア、北欧諸国、アイスランド、グリーンランド、カナダ、アラスカがぐるりと取り囲んでいます。 もしこの海に航路が開けたら、それぞれの地域間の距離は大幅に短縮されることでしょう。その上、南の航路にあるような国際紛争や海賊の心配もすくないはずです。過去にもやはりその夢を追った各国の激しい開発競争がありました。
 本書では、その北の海にまつわる世界史を丹念に辿っています。それは大航海時代を画期として、「陸の世界史」から「海の世界史」へと変わった時代に重なっていました。

 北方世界で最初に世界史に登場したのは、スカンジナビア半島を拠点とするバイキングでした。スエーデン系の「ルーシー族」などを主とした彼らは、ロシアの川の道を介して、その頃最も富裕だったイスラーム商圏と、コハクと毛皮交易でつながっていたのです。その毛皮の王がクロテンでした。クロテンはやがてユーラシアの王侯貴族たちのステータスシンボルとして、最も高価な世界商品となりました。クロテンは主にヴォルガ川で運ばれ、その交易ネットワークから生まれた国家が、「ルーシー」を語源としたロシアでした。

 しかし森林に隠れ住むクロテンも乱獲で、ロシアでは次第にその数を減らしたため、東のシベリアの大地が狙い目となりました。コザックを尖兵とした17世紀のシベリア征服もクロテンが原動力だったのです。こうしてベーリング海に到達して発見したのがラッコの大群でした。その高級品としての価値はクロテンを超え、しかも容易に捕殺できるとあって、毛皮交易は一挙に拡大しましたが、この時期はまさに大航海時代の幕開けでした。

 ラッコの海にはイギリス、スペイン、アメリカなどが殺到し、激しい競争が始まりました。そこでロシアは東インド会社をモデルにして、アメリカと合同の露米会社を設立してラッコ交易の独占を目指しました。さらにロシアは、真剣にシベリアの北の海を経由する北東航路を探りました。結果としてすべての探査は氷海に阻まれて実現はできませんでしたが、各国の動きも盛んでした。イギリスのクックは第3次太平洋探検航海で、ベーリング海峡からカナダの北を回って大西洋に出る北西航路を調査しました。こちらもやはり氷海に閉ざされ、あきらめて食料補給のためハワイに戻ったところを住民に殺されてしまったのです。しかし彼はラッコ交易についての実態を、本国に詳細に報告していました。

 この間にも、現地のアリュート人に強制したラッコの大殺戮は、すさまじい勢いで進んでいました。激減したクロテンとともに、ラッコもまた、またたくまに絶滅に瀕したのです。露米会社の経営は困難となりました。ラッコ猟に主眼を置くロシアにとって、アラスカは経済価値を失った「お荷物」となってしまったのです。1867年月、ロシア領アラスカはアメリカに、720万ドルという破格の安値で売却されました。ところがアメリカ国民もまた、ただの「北極熊の動物園」を購入したと国務長官スワードを非難したのです。
 北極海航路は幻想でしたが、北からの世界史は毛皮交易を中心に回っていました。「了」

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