「ニッポンの山里」池内 紀 2013年7月25日 吉澤有介

   著者はおなじみのドイツ文学者、エッセイストです。大好きな山行きを続けるかたわら、日本各地の山里の集落を訪れてきました。観光業者が目玉にする特別な風景や史跡を持たなくても、日本には全国に自然と暮らしが育んだ美しい景観があります。それこそが現代人がひそかに求めている懐かしい日本的原風景なのでしょう。本書は、この10年ほどに訪れた30の山深い集落の、そのたたずまい、風土と歳月の重さ、人々の暮らしを、見たまま聞いたままに書き留めた珠玉の探訪記です。その大方は足の便のない、山肌を縫うような急な坂道を辿ってようやく見出す集落でした。かっては炭焼き養蚕などをベースに焼畑を営み、山菜やイワナなどの豊かな山の恵みを一杯に受けた暮らしが、今は限界集落という非情な扱いを受けています。しかし著者はそこにある山里の知恵に驚き、暖かいまなざしを注いできました。そのごく一部だけを、かいつまんで紹介してみましょう。

 まず最初の出会いは、「仙納」という美しい名前の村でした。越後国親不知海岸に迫る、急峻な山に奥深く入ったところにあります。著者の親しい編集者の故郷と聞いて訪れたのですが、滞在させてもらった茅葺きの生家と、その村の美しい暮らしの印象は強烈でした。

 ついで青森や岩手、山形など、みちのくの山里を巡って人々と交流しましたが、首都近郊の山の暮らしにも目をとめています。飯能の「風影(ふかげ)」は名前の美しさに引かれました。秩父往還の「栃本」の古民家や四季折々の山の幸。著者が戦中に疎開した、八王子の「恩方(おんがた)」の夕焼け小焼けの里にも、昔ながらの暮らしがありました。

 鳥取県東南部の智頭町の山奥に、「板井原」という江戸時代から続く山村があります。今でもクルマが入れない僻地にある20戸ばかりの集落は、2001年に伝統的建造物群保存地区に指定されました。藩政時代からの造林で慶長杉というブランドもあり、町の森林組合には若手が集って、新しい林業ビジョンを打ち出そうとしています。行政も積極的で、一人暮らしの高齢者をサポートする「ひまわりシステム」を発案して、その元祖となりました。手作りの村おこしですが、山里の知恵を継いでいるのです。
 隠れ里の一つに、長野県伊那郡の外れに「遠山郷」があります。戦国時代から江戸初期まで、当地を領した遠山氏にちなんだ歴史がありますが、同じ伊那でもあきらかに独自の風土と風習を備えています。南アルプスと伊那山地の間は地質学でいう「中央構造線」が走り、とりわけこの辺りは山高く谷は険しい。その陽当たりのいい南斜面に集落が美しく点在しています。「日本のチロル」とも呼ばれて、丹念に耕された斜面には、野菜、穀物、茶、果物が育ち、家ごとに違う石垣には花々が咲き揃って見事な眺めです。村では若者を呼び込む地道な活動が展開されていました。また四国徳島の「祖谷」地方は、やはり「中央構造線」に沿った、山々に隔絶された秘境です。平家の落人の末裔の面影が色濃く残るこの集落に、アメリカ人の東洋文化研究者が、古民家を買って住み着きました。確かな日本語で「ワタクシモ現代ノ落人デスカラ」と笑っているそうです。この東祖谷の美しい景観が気に入ったのでしょう。山里への著者の深い思いと重なっていました。「了」

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