「遺伝人類学入門」 太田博樹著 2018年8月1日 吉澤有介

ちくま新書2018年5月刊
- チンギス・ハンのDNAは何を語るか -
著者は、東京大学出身の北里大学医学部解剖学准教授で、人類集団遺伝学、ゲノム人類学が専門です。魅力的な副題につられて読んでみましたが、なかなか手強い遺伝子研究物語でした。入門という本は、たいがい要約しにくいものです。すべてが要点を切り詰めて記述しているからです。そこで本書では、最後の結論だけを齧ることにしました。
進化論には、主なものとして「自然選択理論」と「中立理論」があります。前者は適者生存を唱え、後者は偶然による幸運者生存を主張しています。現在は後者の「中立論」のほうが、分子レベルで適合例が多く、有力になってきました。これはいうまでもなく、日本の国立遺伝学研究所所長であった木村資生博士が1968年にネイチャー誌に発表したものです。集団遺伝学を支える基礎理論となりました。存命なら確実にノーベル賞だったでしょう。
古代DNAを分析する技術が発展して、世界各地の人類集団のルーツの研究が盛んになりました。ちょうど映画「ジュラシックパーク」が大当たりしたころです。その対象となったのは、父系を伝えるY染色体と、母系で伝わるミトコンドリアDNAでした。1996年に発表された宝来聡らの論文は、日本列島に現在住んでいるアイヌ、琉球、本州日本の3集団を調べ、ミトコンドリアDNAの配列で、弥生時代に渡来系との混血が進んだ二重構造説を支持しました。しかし縄文人の直接の子孫とされる、琉球人とアイヌの間では配列が異なっていたのです。そこで著者らはY染色体を調べて、琉球人とアイヌに共通するタイプを見つけました。父系でしっかりと繋がっていたということです。性による移動形態の現れで、女性の交流が少なく、男性の交流が活発で、その共通祖先は3万年を遡ると推定できました。
渡来系弥生人について、著者らは吉野ケ里周辺の遺跡を調査しました。そこには大量の甕棺墓が出土し、ごく短い時期に限定的に用いられていました。その人骨からのDNAは、同じ周辺の土に埋葬された人骨とは明らかに異なっており、寒冷地に適応した東アジア人のものだったのです。それぞれ別の遺伝的集団が、時期を違えて住んでいたのでしょう。
そこで著者らは、さらにその東アジア人のルーツを探ることにして、山東半島に着目しました。春秋時代にこの辺りに栄えた斉の遺跡で、大量の人骨が出土したからです。ちょうど今から2500年ほど前の弥生時代に当たります。DNA分析の結果は、渡来系弥生人とは全く異なっていました。ここは弥生人の原郷ではなかったのです。
その調査では同時に、斉の遺跡の人骨と、近くの2000年前の人骨と、現在周辺に住んでいる漢民族のDNAを比較しました。ところが驚いたことに斉の人骨だけが、その後に住んだ人々の、過去から現在に至るDNAと極端に異なっていたのです。わずか500年の間に、頻度分布が大きく変化していました。当時の歴史的環境をみると、モンゴルではチンギス・ハンの時代でした。モンゴルで特定のY染色体が急増し、それがアジア全体に広まり、短期間に多くの子孫を残す機会があった。チンギス・ハン本人でなくとも、その系統でよいのです。歴史的、文化的要因が遺伝子頻度を決定付ける場合があるということです。男女で異なる移動パターンがありました。ここで「社会選択」の概念が浮上してきたのです。「了」

 

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