「大人の時間はなぜ短いのか」一川 誠著 2018年4月9日 吉澤有介

集英社新書、2008年9月刊
なぜ大人になると、子供のころより1日や1年が短く感じられるのでしょうか。楽しく遊んでいる時間はあっという間に過ぎ、退屈な会議はなかなか終わってくれません。同じ時間のはずが、感じる時間の長さの異なるのはなぜでしょうか。著者は、千葉大学文学部行動科学科教授(当時准教授)で、実験心理学の立場から、この素朴な問題に取り組んできました。時間には多くの謎が含まれていますが、今もなお完全には解明されていません。
フランスの哲学者ポール・ジャネーとその甥の心理学者ピエール・ジャネーは、感じられる時間の長さは、年齢に反比例するという仮説を立てました。同じ1年でも10歳の子供にとっては人生の10分の1なのに、60歳の大人には60分の1になります。年齢に対する比率が小さいほど、時間が短く感じるというのです。もっともらしい法則に見えましたが、様々な問題が見つかりました。同じ年齢でも、同じ個人でも、状況によって時間の感じ方が大きく異なることがあるからです。そもそも時間とは一体何なのでしょうか。
私たちは、当然のように物理学的時間は実在するとしてきました。確かにニュートン力学的な時間は均一で、そこには不確実性はありません。しかしアインシュタインの相対論的な理解では、時間の進行は重力や運動などの影響を受けて、ある条件下では地上の時計よりも時間は遅れてゆきます。また量子物理学でも、時間は実在しない抽象的な概念だといい、過去・現在・未来の流れさえ否定します。哲学においても、時間は人間にとって本質的特性ではあるが、論理的に実在するものではなく、人間の体験における錯覚だともいうのです。

しかし多くの現代人は、時計による客観的時間を想定しています。地球の自転や太陽をめぐる公転があり。農耕文明が生まれて以来、生活の上で公共の時間が必要とされたのです。それは次第に精度を高め、現在はセシュウム原子時計に水素メーザー型も加えた「世界時」が定められていますが、時計の大元は人間の体験による特性から生まれたものでした。

その「体験される時空間」の特性に取り組んだのが認知科学、とくに実験心理学です。

私たちの体は、常に時間と空間の中に位置づけられています。意識は時間から逃れることはできません。知覚や認知を実験的に捉えると、外界に対する私たちの知覚は、物理的な時空とのズレがあります。そこで生ずる「錯視や錯覚」は、神経回路の伝達速度も関係するために、訓練しても修正はできません。とくに時間感覚には、感覚器自体が存在しないのです。進化の過程で獲得したと思われる体内時計や、体の概日リズム「サーカデアン」もかなりアバウトです。脳の働きで調整してはいますが、時差ボケでは修正に数日もかかります。

体験する時間の長さには、さまざまな要因が絡んでいることがわかってきました。とくに大きいのは身体の代謝、心的活性度で、加齢とともに遅くなってゆきます。やるべき事ができないうちに時計だけガ進むので、時間が早く過ぎたと感じてしまうのです。現代社会では、情報や経済活動が高速化する一方ですから、身体活動の鈍化した高齢者には、物理的時間との付き合い方は厳しくなるばかりです。やはりゆとりを持って生きることでしょう。「了」
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今回の「大人の時間はなぜ短いのか」には諸説があるようです。私の現役時代の上司の説は”大人になれば夢がなくなるから”でした。私の考えは、貴要約の最終部の、身体の代謝 以下と同じですが、生物の細胞分裂は誕生時が一番早く、成長するにしたがって遅くなり、止った時に生涯を終える。
体内時計は細胞分裂の回数を基準にしているから、常に一定の原子時計とは、ずれを生じるからと考えてます。大雑把な推定ですが、私は今80代で学生時代と比べ時は4,5倍以上速く経つ感じで、細胞分裂は1/4~1/5以下ということになります。原子時計と体内時計のずれを相対性原理を拡大して解明すれば面白いと思ってます。
人生100年の時代に入ったといわれますが、今の医学の進歩速さ、がん治療の進歩、若い細胞移植の研究、、、、を見ると、将来には人生120年時代も来ると思います。
しかし一番重要なことは、体内時計での充実した長生きをすることだと思っています。
本多信一

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