「生命の内と外」永田和弘著2018年1月25日 吉澤有介

  • 新潮選書2017年1月刊
    著者は京大名誉教授。専門は細胞生物学ですが、歌人としても著名で、宮中歌会始詠進歌の選者でもあります。さて自分とは何か。自己と他者は、古代からの哲学の大命題でした。
    私たちの生命は、外部環境のさまざまな変化に対応して、それをやり過ごしながら自己はしっかりと維持しています。しかしその自分という存在を考えるとき、どこまでが自分なのでしょうか。一枚の皮膚に囲まれた内部が自分であるかといえば、そう単純ではありません。
    実は私たちは自己の内部に外部を抱え込んでいるのです。口から喉、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸そして肛門までは、ひと続きの管として外部につながっています。食物に含まれるさまざまな栄養素は、消化管を通り抜けながら分解され吸収されて、はじめて外部から内部へ移行するのです。吸収する主な場所は小腸で、内側に長さ1ミリほどの無数の絨毛があり、その表面に上皮細胞という細胞がびっしりと並び、さらにその一つひとつにまた微絨毛があるという複雑な構造をしています。そのために長さ6~7mほどの小腸内部の表面積は、ほぼテニスコート一面分の200㎡もあって、消化酵素で分解された栄養素を吸収します。しかし、その通路は上皮細胞間の隙間ではありません。もし細胞同士に隙間があれば、外部環境からの有害なバクテリアなども、やすやすと内部に侵入することでしょう。ところが、その隙間はタイトジャンクションという特殊な機能を持っているたんぱく質で、縫い合わせるように密着しています。この構造は、日本の竹市雅俊、月田承一郎による世界的な発見でした。外界に対する細胞膜によるフェンスは完璧です。ところが、アミノ酸などの分子レベルまで分解された栄養素は、なんと細胞膜を堂々と通り抜けているのです。
    そもそも生命は膜で囲われた細胞として誕生しました。外界から隔離されることが生命の絶対条件なのです。しかしそこに決定的な自己矛盾が生じました。生命は外部から多くの物質を取り込んでエネルギーにする代謝活動が必須です。またその老廃物を外部へ排出しなければなりません。外界から自己を区別しながら、完全に閉じてしまっては生きてゆけない。つまり外部に対して「閉じつつも開いて」いなければならないのです。
    小腸上皮細胞には、トランスポーター役のたんぱく質がいて、細胞膜を超えてアミノ酸を取り込み、血中を経て全身の細胞に運び、たんぱく質に合成します。また必要に応じて積極的に外部へ放出もしています。さらに私たちをつくっている60兆個の細胞の一つひとつにも他者が棲んでいました。細胞膜は親水性と疎水性の脂質2重構造を持ち、内側に陥入して自身の内部に外部を取り込んでいます。ミトコンドリアとの共生がそれでした。
    なお外部である消化管には、数えきれないほどのさまざまな生物が棲み着いています。たとえば大腸のなかのバクテリアは数千種類、600兆から1000兆もいて、一列に並べれば実に地球を15~25周する長さになるといいます。他者である彼らなしでは、私たちは生きてはゆけません。本書では細胞生物学の視点から、生命の基本単位である細胞の、外部との神秘的なまでの交流の現場を丁寧に紹介しています。生命の本質に触れる好著でした。「了」
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