「アイヌ学入門」瀬川拓郎著 2016年1月25日 吉澤有介

アイヌとは、どのような人々でしょうか。本書では、アイヌの歴史と文化を通じて、世界中のどの民族とも異なるかれらの実像を追っています。アイヌの特徴を一言で表すとすれば、「日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめる人々」といえるでしょう。縄文文化は北海道から琉球列島にかけて一万年以上も続きましたが、私たち日本人は弥生時代に朝鮮半島から渡来した人々と交雑して和人となりました。しかしアイヌは基本的にこの交雑化を積極的には受け入れず、縄文人としての伝統を守ってきたのです。

日本列島の先住民でしたが、その後数千年も別の道を歩んできたため、言語も習俗も全く異なる民族となってゆきました。アイヌとは、アイヌ語で神に対する「人間」を意味しています。北海道を中心にして、サハリンや千島を含む広大な地域に住んで、共通な言語を用いていましたが、その言語は日本語や周辺地域のどの言語とも親戚関係がなく、「独立言語」とされています。アイヌ自身もみずからの文化的な独自性や アイデンテテイを強く自覚していました。その人口は19世紀で2万4千人ほどでした。

縄文人からアイヌへの連続性は、考古学の面からも確認されています。一方、集団としての遺伝子にはオホーツク人の流れがありました。また形質的には江戸時代にシーボルトが白人説を唱えましたが、その後の調査でコーカソイドとも言い切れず、モンゴロイドが成立する以前の状態にあるとみる研究者もいて、今なお深い謎が残されています。

アイヌの文化は縄文時代以降、時代によって大きく変化してきました。4世紀に入ると、サハリンのオホーツク人が北海道に南下してきました。気候の寒冷化があったのです。アイヌは北海道南部に追いやられ、さらに内陸伝いに古墳社会の前線であった仙台や新潟のあたりまで南下して、同時期に北上してきた和人と混在しました。東北地方には今でも古代アイヌ語の地名が多く残っています。川を意味する「ナイ」が宮城県以北に、「ベツ」が青森、秋田、岩手にあります。そのうち「ナイ」のほうがより古く、「ベツ」は5~6世紀に後発で南下した北海道太平洋側のグループによるとみられます。それらのアイヌ語は、東北北部のマタギにも山言葉として残りました。マタギは和人でしたが、アイヌの狩猟技術を学んでいたのでしょう。そこにはサハリン方言がみられるそうです。

和人との交易が始まり、お互いの文化に影響しました。5世紀の後半になると、エミシと呼ばれた古代日本語を話す集団が北上し、アイヌは北海道に戻りましたが、和人との交易はますます盛んになってゆきました。、9世紀ころの日本では、オオワシの尾羽が高級な矢羽として珍重されています。また日本からは古代の祭儀が伝わりました。アイヌはカムイやタマなどの日本の神言葉を受け入れて、イナウやサイモンなどの祭祀で用いました。6世紀の日本の祭器も発見されています。クマ祭りも縄文伝統のイノシシ祭りが元でした。

北海道はまた黄金の島で、豊かな砂金が採れました。奥州藤原氏がアイヌから金を入手していた可能性があります。平泉金色堂の金箔の一部に日高産があることが近年確認されました。中世の和人の移住で、アイヌとの交流はさらに濃密になってゆきました。「了」

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