「狼が語る」ファーリー・モウェット著2014年7月2日 吉澤有介                        

  本書の原題は、ネバー・クライ・ウルフです。つまり「ありもしない危険を言い立てること」という慣用句で、いうまでもなくイソップの「オオカミだあ!」に由来しています。カナダの国民的作家でナチュラリストの著者が、北極圏でオオカミ家族と過ごした体験をもとに綴ったもので、ベストセラーになり、映画化もされたそうです。

オオカミが危険な動物だという観念は、「赤ズキンちゃん」の物語にもあるように広く信じられて、現在もなお政府によって駆除政策が続けられています。森林地帯に住むカリブーが減少したのはオオカミのせいで、しかも年間数百人の人間が襲われているというのです。多くの議員の陳情もあって、国家的問題になっていました。

本書の初版が出たのは1963年のことでした。官僚たちが彼を雇って、オオカミがいかに残虐な動物であるかを証明しようとしたのです。しかし実態はまるで違っていました。物語は春先の北極圏の、無人で地図もない奥地の湖畔の氷上にボロ飛行機に送られて、ただ一人で基地を設定した生物学者の、半年間の観察記録として語られています。

最初の出会いは、ある日小イヌのようななき声を聞いて、ちいさな丘の頂きを越えようとしたときでした。突然2mばかりの目の前に目指す相手がいたのです。琥珀色の眼と向かい合ってお互いに動けません。数分後、彼は突然飛び上がって走り去ってゆきました。

翌日あらためて調べてみると、泥の上に足跡があり、その先に巣穴を見つけました。双眼鏡で覗くと、入り口に生まれてまもない2頭の子どもがジャレあっていて楽しそうです。ところがいつのまにか親オオカミの夫妻が、20mほどの背後からじっとこちらを観察していたのです。その驚きでつい声をあげると、彼らは跳ね上がって足早に消えてゆきました。ここは彼らの縄張りだったのです。それでも襲ってくる気配は全くありませんでした。侵入者の存在を知りながら、ある間合いをとって、自分たちの暮らしを続けています。
家族の役割もはっきりしていました。そして彼らが食べていたのは、湿原に大発生した野ネズミだったのです。それに湖岸で大型のサカナも捉えるなど、食糧は充分にありました。近くに別の家族もいて、オオカミたちはさまざまな会話を交わし、ときには高く歌います。その歌声はとても感動的で、それぞれに名前もつけて親しく見守りました。

 9月半ば、カリブーの群れが通りかかりました。すぐに2家族のオオカミが現れ、100mほど離れてぼんやりと見送っています。カリブーも全く警戒しません。2百頭の集団が、少しも騒がないのです。やがてオオカミの家族も群れに混じってしまいました。群れの中の弱そうな子どもを追いかけてはすぐやめます。やがて群れは遠くに去って、オオカミたちが残されました。狩りの学校は終わったのです。現地のイヌエットは知っていました。オオカミは弱って歩けなくなった固体だけを頂くといいます。群れの健全化に貢献していました。カリブーの減少は、オオカミのせいではなく、人間たちの仕業だったのです。この報告は、大きな反響を引き起こして、政府の駆除政策に批判が集りました。しかしなお賛否が分かれているそうです。オオカミとの共存の日はくるのでしょうか。「了」

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