「光る生物の話」下村脩著 2014年6月30日 吉澤有介

   これは2008年にノーベル化学賞を受けた下村脩博士の、発光生物についてのはじめての入門書です。ここで下村さんは、科学の根源は興味と疑問と好奇心だといいます。人類は光るものに古くから強い好奇心を持っていました。ローマ帝国の海軍司令官であったプリニウスは偉大な博物学者でもありました。発光生物を研究し、多くの記述を残しています。しかし彼は、ヴェスヴィオス火山が噴火したとき、ポンペイの救援に赴き、そこで亡くなりました。R・ボイルやB・フランクリンも深く研究しています。
現代の化学的研究の基礎をつくったのは、フランスの生理学者デユポアでした。カモメガイなどの発光に、ルシフェリンとルシフェラーゼが必要なことを発見しました。さらにプリンストン大学のハーヴェイ教授が、神奈川県三崎のウミホタルを研究し、戦前戦後にわたり日本の学者たちと交流したという歴史があります。
しかし下村さんが、この発光生物の研究に入ったのは、全く偶然のことでした。中学(旧制)4年生のときに長崎で原爆に遭い、たまたま近所に仮住まいした長崎医大付属薬学専門部に入って、卒業と同時に大学の助手になりました。そこで力量を認められて名古屋大学の平田教授に内地留学して、ウミホタルの発光物質の精製と結晶化に取り組んだのです。この結晶化は、プリンストン大学が20年前から研究して、まだ成功していません。下村さんは、その難問を10ケ月で解決したのです。たいへんな苦労の末に、全く意外な条件が重なったことが幸いした、生涯で最も嬉しい瞬間でした。その研究は、瀬戸内の高根島の協力で大きく進展し、名古屋大学から学位を受けました。
1961年に、下村さんはプリンストン大学に移り、光るオワンクラゲの研究を始めました。家族総出で大量のクラゲを集めて、発光物質を抽出するこの実験は、最も困難なものだったそうです。そこでついに新物質イクオリンを発見しました。自動クラゲ処理機を開発した共同研究者のジョンソン博士を驚かせた、下村さんの、毎日15時間という猛烈極まりない研究の経緯が詳しく語れています。考えに考え抜いたある日、ボートの上でうつらうつらとしていて、突然閃いたアイデアが極め手になったのだそうです。
下村さんは、子どもの頃には化学に何の興味もありませんでした。それが偶然のなりゆきでウミホタルの難題を押し付けられた。しかしそれが成功したときに化学というものに強い興味を持ち、一生の研究にしたいと思いました。嫌いなことでもやっているうちに興味と疑問と好奇心が湧き出て、それがノーベル賞になったというのです。
下村さんは、現在までに51年間を米国に居住しました。これは米国が好きだからではなく、自分の研究を進めるためでした。日本の大学教授職は安定しているが、研究に集中できない。米国では、自分で研究費を獲得すれば100%自分の研究に専念できます。3年ごとの研究費の継続に、もし失敗したら失業するという不安の中で、渾身の努力をしました。それで思う存分に研究できたのです。イクオリンの発光機構の解明につながりました。医療などへの実用化も進んでいます。科学の魅力が一杯の好著でした。「了」 

カテゴリー: 気候・環境, 自然 パーマリンク