アフリカで誕生した人類が日本人になるまで 溝口優司 2013年11月4日 吉澤有介

 私たち日本人は、どのようにして生まれたのでしょうか。本書は、7百万年前頃に最初の人類がアフリカで誕生し、さまざまな淘汰を経ながらホモ・サピエンスへと進化し、ついに日本列島にたどり着くまでの壮大な物語です。
著者は形質人類学が専門で、最新の研究成果をもとに日本人のルーツの謎を追っています。

 日本人への第一歩は、人類の遠い祖先、猿人から始まります。1千万~7百万年のいつの頃か、チンパンジーの祖先と分岐して猿人となり、人類としての進化の道を歩みだしました。それまで樹上生活をしていた猿人が、何らかの理由で直立二足歩行を始め、その結果手の自由と大きな脳を獲得し、言語を操ることまでできるようになりました。生物には「必要最小限度の材料を使って、最大限の効果が得られるように形作られる」適応戦略が働くという経験則があります。(ルーの法則) このような適応が何世代も続いた結果、現在のような人類の形になったのです。しかし猿人が、2百万年前に原人・旧人と進化したその途上には、幾種類かの進化段階の異なる人類がいて、私たち新人のホモ・サピエンスとも同時期に棲息していました。最近発見された多くの化石がそれを証明しています。

 人類はやがてアフリカを出ます。その時期はこれまで百万年前とされてきましたが、グルジアで2000年前後に、たいへんな発見がありました。180万~170万年前の原人の頭蓋化石が見つかったのです。アジアやヨーロッパに広がった原人は、各地で環境に適応してゆきました。その中からネアンデルタール人が現れます。その時期は、私たち新人よりも新しい、10万年前頃らしいのです。一方、新人は同じ10万年前頃にアフリカを出ました。ある時期に両者は出会い、小規模ながら交配していたことが確認されています。その場所はたぶん中東あたりのようなので、私たちのDNAにもその痕跡があるかも知れません。

 新人がアフリカを出た時期は、ちょうど最終氷河期の始まる頃でした。環境の激変を乗り越えて、他の人類がすべて絶滅した後、ただ一つ生き残って各地に大きく拡散しました。

 ユーラシアの南東部にたどり着いた私たちの祖先は、南はオーストラリアから北はシベリアへと進み、北上したグループは遅くとも35千年前には北京周辺に、2万年前頃にはバイカル湖周辺に到達しました。最も寒冷な時期で、そこで寒冷地適応した体形になったのです。また南では遅くとも4万年前頃にボルネオに到達しています。沖縄でも推定4万年前の最古の化石と、同じ頃の港川人が見つかりました。それは復元してみると、驚くことにアポリジニに近かったのです。縄文人は、アイヌも含めてやはり南方起源でした。
 一方バイカル湖周辺にいた北方アジア人は、その後南下・東進して、3千年前頃に朝鮮半島や江南地域で稲作を習得。一部が日本列島に幾度か渡って弥生人となりました。それは少数でしたが技術が高く、もともといた縄文人と混血して人口が急増し、低い出生率だった縄文人を凌駕して、古墳時代までには置換ともいえるほどの変化で、現在の日本人が誕生したのです。縄文人と弥生人は、歯の大きさや形、頭の形、身長まで、形質は大きく違っていたのに、それらが融合していった経過はとても刺激的でした。「了」

カテゴリー: 気候・環境 パーマリンク