「人工冬眠への挑戦」市瀬 史 2013年4月18日 吉澤有介

   [命の一時停止]の医学応用
 日本人の平均寿命は、過去100年ほどの間に40年も延びて、80歳を超えました。しかしどんなに寿命が延びても私たち人間も含めたすべての動物は、やがて死ぬのが定めです。そして一度死んだ動物は、もう生き返ることはありません。

 ところが、事故などで、一度死んだのに生き返った人たちがいます。それらの人たちに共通するのが、死んでいたときに極端な低体温状態にあったことでした。それはごく稀な幸運によるものでしたが、毎年死んだ状態になって、そこから難なく蘇ってくる動物たちがいます。冬眠するリスやクマ、夏眠するカタツムリなどで、やはり低体温になっていました。低体温はなぜ動物たちを生き返らせるのでしょうか。しかも彼らは長寿なのです。

 この冬眠のメカニズムがわかれば、私たちの生き方や、医療などに大きな影響を与えることでしょう。代謝を自在にコントロールする人工冬眠の研究は着々と進んでいます。

 -人工冬眠の定義 –
①基本的な生命活動が抑制されている
②意識は失われている
③人為的に入眠と覚醒ができる
④長時間継続できる
⑤加齢を遅らせる

 これを動物で見てみましょう。リスは零度近くまで体温を下げて代謝を抑制します。クマはそれほど低体温にはならないのですが、冬眠に入るとエサも水も取らず、排便、排尿もしません。それでもメスは冬眠中に出産して仔グマを育てるのですから凄い。特殊な栄養リサイクル機能があるためです。その超能力は遺伝子の働きによるものでした。

 それでは人間ではどうでしょう。18世紀ころまでのロシアの貧農は、食料の乏しい冬の半年には、ほとんど寝て過ごしたそうです。モンゴルなど寒い地方では、近代までごく当たり前な習慣でした。冬眠状態にしてエネルギーを節約したのです。またカロリー制限が寿命を延ばすことは、すでに確認されています。その仕組みを探るために、遺伝子工学でつくられた特製のスーパーミッキーマウスで、さまざまな実験が行われているそうです。

 その中で、思いがけない人工冬眠への導入物質が発見されました。それはありふれた硫化水素ガスです。昔から火山性の猛毒ガスとして恐れられてきましたが、これが適切な濃度では重要な生理活性物質になって、代謝率を大きく低下させることがわかったのです。マウスの実験では、可逆的に人工的仮死状態に入りました。そしてほとんど眠っているのに、痛みなどの刺激は感じるのです。麻酔薬としては使えませんが、人工冬眠導入薬としては、むしろ安全といえるでしょう。硫化水素は、全身麻酔とも自然冬眠とも異なる作用で、代謝と心臓機能を可逆的に抑制する可能性が高いのです。
 そうなると、日本の温泉の効用を見直したくなります。たとえば群馬の万座温泉です。血管平滑筋を弛緩させるので、高血圧の治療や予防に良いでしょう。大型哺乳類での確認はまだですが、ブタで効果があったという事例報告も出ています。また硫化水素には自然の冬眠と同じように、寿命延長効果も期待できそうです。これは線虫で確かめられました。著者はこの研究の最前線にいます。人工冬眠は、もう間もなく実現することでしょう。「了」

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