最後の吉本隆明 勢古浩爾著 筑摩選書 2012年7月7日 吉澤有介

 戦後最大の思想家といわれる吉本隆明は、ちょうど私の大岡山時代に、特研生(現在の大学院)で在籍していました。当時すでに凄い評論家が電気化学にいるとは聞いていましたが、もちろん出合ったことはありません。ただ私が欠かさず出席した伊藤整の講義に、わが同期の奥野健男とともに聴講していたそうですから、同じ空気を吸っていたわけです。

 その後の評論家として、思想家としての盛名に、著書を何度か手に取ってはきましたが、あまりにもたくましい活きのよさに、なかなかついてゆけませんでした。彼が亡くなった今になってみると、やはりこれは何とか出直してみようと思ったのです。そこで見つけたのが本書でした。「最後の親鸞」にならった本書は、知りたかった吉本隆明のほぼ全体像を鮮やかに示してくれました。大衆の原像を踏まえた独立独歩の巨人の歩みは、このようなものだったのかと。彼が自らの思想の原則を述べたくだりがあります。(一部略)

1)足並みをそろえない。

2)口並みをそろえない。

3)すべてを疑えというが、わたしは消極的に、じぶんで確かめないことについては、流布された言説を信じないくらいにしておきたい。(マルクス—読みかえの方法あとがき)
 吉本隆明は、また論争の名手でした。「文学者の戦争責任」にはじまるその論争は、ほとんどの権威を叩きのめしたのです。京橋区月島で生まれ育った下町仕込みの啖呵は強烈でした。胸がすくとはこういうことでしょう。恩師として尊敬していたのは、子供時代の塾の先生と、東工大の遠山啓教授の二人だけでした。大先輩の冥福を祈るばかりです。[了」

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