林業を続けるためには   井上淳治   2010年7月9日

   林業の再生について現政権が積極的に取り組もうとしている。
いくつかの方針を出して進めようとしているが、すっかり放棄されてしまった産業が息を吹き返すのは大変な事である。
西川材生産の中心地飯能市で実際に山林経営に携わっている井上さんにお話をうかがった。

現在日本林業の現場はどうなっているか
全国で林業に携わっている人は5万人弱、これは生存している天然記念物カモシカの数10万頭より少ない数である。(笑)
このため山の手入れが全くなされずきれいな森林は消えてしまった。
補助金等で呼びかけてもそれを使う人がいないのが現状。
森林組合もその機能を失っているところが多く県や市からの要請が直接事業者に届いている。

 

西川材の生産地
江戸時代に千住・深川へ木材を販売した。天然林から出荷されていたが売れ行きが良かったので江戸中期頃からは植林に移行していったと思われる。
明治時代には人工造林が本格化し枝打ちの技術が確立した。
昭和になってからは拡大造林が行われ更に森林面積が拡大した。

ここの特色は
(1)集約林業:大山持ちがいないことでほとんどが私有林である
(2)立て木方式:皆伐する時数本を残し大径木(150年位の)に育てる
(3)都市近郊であること:

 

西川材の特長
・年輪幅が緻密。色、つやが良い。
土壌が肥えすぎていないことや冬寒いことなどで暖地に比べ成長が遅い。
・強度が強いので梁などにも使われた。

 

市場の変化
建築工法の変化で良質材と並材の価格差が無くなっている。
壁紙を貼ってしまえば下地の質は何でもよいことになる。

消費者に良質材の良さを勧める人がいなくなってしまった。
高級材を高く売ることができない負のスパイラルに落ち込んでいる。
この対策に木材のPR活動「木育」を実施している。
小学校低学年の子供達や若い女性を対象に木材住宅の良さを実感してもらう活動をしている。

 

林業を続けるには
戦前は「林―薪炭―養蚕」の多角経営で回っていた。
林業の収入は40年以上の長期単位になるが、1520年位の周期で薪炭林が育つ、毎年養蚕からの収入があったことでバランスが取れていた。
30年以降サラリーマンが増えてき、S40年以降は後継者のほとんどが
サラリーマンに変ってしまった。
林業を続けるには炭、養蚕に代わる中短期の収入源を確保する必要がある。

 

木楽里(きらり)―体験型工房の開設
54坪の建物の中で希望者に道具を貸し出して色々な物を作ってもらう活動。
材料は有償で提供する。木工の指導を通して地元の木材に親しんでもらう。

 

西川森の市場
西川材を使いたいがどこに相談したらよいか分からない等の要請があってこの団体を設立した。
地元材の自然乾燥したものをできる限り使ってもらうようPRしている。
リフォーム数件受注している。
ここを窓口に県からの森林整備の要請も引き受けている。

立ち木トレーサビリティー
  立ち木にICチップなどで情報を貼る。これを施主、設計士、工務店に立ち木のま
  ま販売する・・・といった都市近郊ならではの戦略を検討中。
  路網の整備、乾燥材の供給体制の確立といった直面する課題を解決しながら新時代
  に合った林業活動を展開したい。

    木楽里(きらり) http://www.k-kirari.co.jp/

    

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