「くう・ねる・のぐそ」伊沢正名著 2018年9月5日 吉澤有介  

-自然に「愛」のお返しを-    山と渓谷社2008年12月刊
著者は1950年、茨城県の山里に生まれました。高校で人間不信に陥り、中退して自然保護運動を始めましたが、やがてキノコやコケの美しさに魅せられて、菌類図鑑の独学でキノコ写真家を目指します。撮影したスライドを専門家に送り、その指導を受けながら山野を歩くようになりました。ここで著者は、ウンコを自然に返す野糞に目覚めます。有機物を分解するキノコの偉大な力に、自分のウンコを委ねることで、自然との共生を求めたのです。
本書は一貫して著者の野糞の、ユニークな実践的研究の記録で占められています。まず自宅周辺の茂みで実験した後、本格的な始まりは1974年暮れの、長野戸隠から直江津、酒田、福島、会津若松、只見、小出を巡る鈍行列車の新婚旅行での野糞でした。車窓から目星をつけて途中下車した高原や浜辺、それに雪の中での野糞の爽快さは例えようもありません。
これはもうかなりの重症でした。著者は、それ以来克明な記録を開始します。
幸いにもキノコを専門とするカメラマンは希少な存在でした。ネイチャー写真の企画に参加することで、行動半径は一気に拡大し、野糞歴はその都度跳ね上がってゆきました。南アルプスの塩見岳、奄美大島、南紀高野山、宮崎県、屋久島、熊本県の天草などを巡り、毎日欠かさず野糞をしました。都内の公園でもひそかにやり、1984年には年間野糞数は302回に達し、トイレ使用はわずか12回に減り、この年の野糞率は何と96,2%になりました。
野糞をしていると目線が地面に近くなります。そこで珍しいキノコとの思わぬ出会いがあったりします。アシナガヌメリもその一つでした。キノコは地下からの手紙だったのです。
こうなるとそろそろ誰かに話したくなります。初の著書「キノコの世界」は、あかね書房から上梓し、次いで光文社からの「キノコの不思議」というエッセイ集に加わります。その中の対談でどっと野糞の話が溢れ出て、一気に世に知られるようになりました。
著者はこの野糞の技術を、伊沢流野糞法と名付けました。まずそこがウンコを安心して返せる自然かどうかを見極めます。増水や雨で流れないよう生態系保全に最大の配慮をするのです。その上で尻拭き用の葉っぱを用意します。この葉っぱについての著者のウン蓄もさすがでした。まずはフキ、これは「拭き」の語源でもある優れものです。次いでクズ、ヨモギ、ハッカ、ヤマブドウ、オニグルミなどと多彩を極めます。それもやや枯れかかったのが良いとのこと、さらに仕上げは水で濡らした指を使うので、その水入れも用意し、地面に靴先かスコップで径20㎝、深さ10㎝ほどの穴を作ります。季節によっては蚊取り線香も必須です。済ませた後は落ち葉や土で軽く埋め戻しておくのです。人目を避ける場所探しには苦労します。日光霧降高原では、手ごろな空間を見つけて野糞を始めたら、枝の上からサルが石を投げつけてきました。ここは彼らにとっても同様に大切な場所だったのです。
著者はついに千日連続、100%野糞、累計1万回などの記録を次々に達成してゆきました。その足跡(糞跡?)も、ニュージーランドやネパール、南米のアンデスにも及びました。同好のお仲間も増えて、著者に「熱中糞土師」の尊称を贈りました。著者はさらに自分の野糞の跡にキノコが生えてゆく様子の記録に挑戦しています。何とも痛快な一書でした。「了」

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