「粘菌」-その驚くべき知性- 中垣俊之著 2016年2月1日 吉澤有介

粘菌という生き物がいます。ふだん耳にすることは殆どありませんが、実はごく身近にありふれています。枯れ葉や朽ちた木などに住んでいる小さな単細胞生物で、分類上は「原生生物界」となっていますが、動物や真菌にも近い性質があるという不思議な生物です。単細胞でありながら、生きるための必要十分な性能を、しっかりと備えているのです。

著者らは、この粘菌について「単細胞生物である粘菌が迷路やその他のパズルを解く能力があること」を証明し、2000年9月に英国の科学雑誌「ネイチャー」に論文を発表して大きな話題になりました。それまでは、脳や神経系がない生きものには高度な情報処理能力はないと思われてきました。ところが粘菌は、原形質の塊りなのに知性を持っていたのです。それもただ発見しただけでなく、どのように解いているかその仕組みを明らかにしたこの研究は、2008年度のイグ・ノーベル賞を受けるという快挙となりました。

細胞は一般に肉眼では見えません。しかし粘菌の細胞は条件がよければ10時間ごとに核分裂し、巨大化して何センチメートルにもなります。細胞自体は分裂しないので、核だけが倍々と増えて、大きなアメーバ状の単細胞「変形体」になるのです。核の数は多いので、細かく切ってもまたそれぞれが変形体に再生します。また変形体は、別の個体に出会うと自然に融合して、さらに大きな変形体になり、マヨネーズのような質感でシート状に広がり、そのシートの中には管のネットワークが構築されて、栄養や信号が活発に流れます。その流れにはリズムがあり、変形体自体が脈動的に流れて移動してゆくのです。

粘菌には味覚、嗅覚があって好き嫌いがはっきりしています。また光に反応する視覚があり、触覚も敏感です。さらに重力や磁場にも反応するなど、さまざまな外界の変化を感知して行動します。粘菌は生きものの賢さを知る、またとない優れたモデル生物なのです。著者らは次のような実験をしました。まず離れた2箇所に、粘菌の好きなエサを置いてみました。すると粘菌は一つの原形質が分かれて両方に同時に集り、その間を一本の管で繋ぎました。すべての養分を確保して、しかも一体としての繋がりを最短経路で維持したのです。もしその間に障害物があったらどう動くでしょうか。迷路の実験が始まりました。

迷路のあちこちにエサと、30c㎡ほどの粘菌から切り取った3ミリ角の小片を置いてみました。数時間後その小片は、再生して広がり始め、お互いに出会って融合し、迷路全体が一つの粘菌で満たされたのです。エサを求めて繋がり、最短経路の管は太く、不要な経路は消滅しました。単細胞の粘菌が、迷路を数理モデルのように完璧に解いたのです。
粘菌の各々の管は、自分のところの流れだけに反応し、身勝手に太さを変えたのに、全体の最短経路を得ました。各々が自立的に行動し、司令塔がないまま最適解に至る方法は「自律分散方式」と呼ばれ、トリや魚の集団行動にも見られる、生物の問題解決方法の大きな特徴です。人間も、脳に中枢があるわけではなく、多くの神経細胞のネットワークが働いて生存行動をしています。粘菌は見事に多目的最適化問題を解いていました。本書ではカーナビへの応用や、都市間の路線建設実験などの楽しい話題を紹介しています。「了」

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