森の人 四手井綱英の九十年  森まゆみ  晶文社 2012年4月27 日 吉澤有介

    四手井綱英先生は、京都大学名誉教授で、里山の命名者として知られる森林生態学の先駆者です。2009年に97歳で亡くなりましたが、この本は当時90歳を目前にした先生に、聞き手の名手、森まゆみさんが丹念に聞き書きしてまとめた大学者の貴重な証言です。

先生は戦国武将の末裔として、京都山科に生まれました。少年の頃から山野の自然に親しみ、兄綱彦(物理学者)の影響で、京都一中、三高の山岳部で鍛えられ、山に行きたいために京大農学部林学科に進んだそうです。ちなみに兄綱彦は、西堀栄三郎らとともにあの「雪山賛歌」をつくりました。いわゆる京都学派の正統を歩んだわけです。

しかし卒業後は昭和初年の大不況で職がなく、秋田の営林局の嘱託になりました。そこから徹底した森林現場の研究を始めたのです。うるさい現場の古参の職員らを酒量で圧倒して、国有林の伐採から育成まで縦横に活躍しました。当時の営林局は、ドイツから人工林の択抜、天然更新の技術を直輸入して秋田スギを管理しましたが、これはそのままではうまくゆかなかった。先生は現場に合わせた細かい技術を主張したが上司とかみ合わない。結局戦後にまた皆抜人工造林に戻って、それがやり過ぎで大きな問題になったのです。

やがて召集を受けた先生は中支に派遣され、爆弾で負傷したり、敗戦後の撤収などでたいへんな苦労をされました。それでも現地の山林の様子をしっかりと観察しています。復員するとようやく嘱託から正規の技官となり、林業試験場の雪害研究室長に任命されました。それまでの奥様のご苦労はたいへんだったことでしょう。雪の研究では先生のお手のものでした。山好きと、森林の生態をまるごと捉える学問の姿勢があったからです。

ところが突然、先生に京大に戻る話が出て、昭和29年いきなり農学部林学科の教授になりました。それから改革が始まったのです。それまでの植生学や造林学と違う、もっとダイナミックな物質の循環を見据えた森林の基礎学、つまり森林生態学をやることにしました。森を対象に、光合成による無機質から有機物の生産、植物や動物による消費、分解のサイクルの解明を目指しました。「森林生態学」の誕生です。自然という環境の中で森林が樹木がどのような生活をしているか。それは葉の面積を測ったり、光合成の計測器を開発したり、水の流れを追跡するなど、すべて現地調査ですすめる新しい学問でした。その野外研究の方法は、森林生態学ワークショップで世界の標準となり、アメリカはじめ海外の研究者を指導・連携して、亜寒帯から熱帯までの環太平洋の森林の生産力調査に発展しました。データをすべて公開したのも、この学界では初めてだったそうです。先生の教室からは20年間で何と27人の教授が出ています。これはたいへんな記録でしょう。
日本の森についての先生の話は尽きません。恵まれた環境にありながら、歴史的にも自然を大切にしてきたとはいえない。現在は国土の70%の森の半分まで人工林にしてしまったが、植林の適地はよくて3割だそうです。スギ、ヒノキに偏らず、採算ばかりでない、多角的な効用を考えることなのです。先生の自然保護運動は年季が入っています。子供たちに森の心を伝えたいという先生の願いが痛いほどに感じられました。
「了」

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