司馬遼太郎対談集 文芸春秋社 1012年2月21日荒川英敏

  印象に残った次の対談の一部をご紹介します。

 本は1969年から1971年の間に当時の超人気作家司馬遼太郎が行った各界の著名人12人との対談をまとめたものです。 

対談日:  昭和45年2月(1970年)
対談内容:日本の繁栄をおびやかすもの
対談者:  司馬遼太郎
     向 坊  隆(むかいぼう たかし)
 大正6年生まれ。東大工学部応用化学科卒、同大学工業化学科、原子力工学科教授を経て、現在、東大総長。工学博士、著書に「原子力と安全」等。
(略歴は原文、
Wiki Pedia情報、2002年 85歳で他界 
対談内容概略: 

司馬:私らシロウト考えで考えても、まずエネルギー源の問題が浮かびますね。日本は加工をやって食べてゆくという産業国家で、外国から材料を輸入して加工し、それを再輸出し食っている。しかも、その加工に要するエネルギー源の大部分を石油に依存している。この石油のほとんどがまた外国からの買い物で、世界情勢の変化から何かの加減で石油がこなくなったとしたら、いったい日本はどうなるんだろうと、まずそれが心配なんですけども。            

向坊:お説のとおりですね。日本で採れる石油は年間使用量のわずか1%以下、外国から毎年2億トン以上の石油を輸入している。そのうち90%がアラブ地域からの買い物なんですが、ここは世界でも有数の政情不安な地域で、ここに何らかの混乱が起こった場合、日本はどこかとケンカをしなくても、日本に入ってくる石油は制限される。あるいは値上りする。値上りしたら加工コストが上がって、日本はもう輸出がやっていけなくなる。

司馬:モトノモクアミですな。   向坊:ええ、年に2億トン以上も使うことになると、一年分貯めておくことは不可能なんです、量が多すぎて。今の貯蔵量はおそらく30日分あるかないでしょう。タンカーでどんどん運んで操業しているわけですが、タンカーの道筋に紛争が起これば、運んでこれなくなったり、遅れたりする。そうなれば日本全体がお手上げです。ぼくらくはそういうことに対して非常な危機感をもってますね。
     中略  司馬:そこで核エネルギーということになりますね。  

向坊:ええ。これまた残念ながら、この材料になるウランが日本に出ないんですね。出るけれども少なく、とても需要におよばない。いままで日本で見つかっているのは、全部合わせても4000トンぐらい。ところがもうじき年に1万トン以上のウランを使うようになります。だから、これも輸入にたよらなくちゃならないですが、石油にくらべるといろんな利点がある。まずウラン235という同位元素1トンで石炭なら300万トン、石油なら200万トン分のエネルギーを放出する。たった1トンですよ。だからウラン鉱石を大きな船で運んでくれば1隻で1年分ぐらいのエネルギー源の保存は容易に可能です。それから供給元が石油にくらべて分散している。アメリカ、カナダ、アフリカと分散しているから、供給の安定化が出来る訳で、値段の石油にくらべて三分の一ぐらいは安いと見られています。  

司馬:ははあ。  

向坊:ところが原子力発電には、安全性の絶対確保という非常に重大な問題があるわけです。    広島に落とされた原爆は重さにして2キロか3キロの死の灰をばらまいたんですが、原子力発電所にはその灰がトン当たりで溜まっていくわけです。これを絶対にばらまかない、漏らさない工夫、設備が必要です。  

司馬:万に一つも間違いは許されない。  

向坊:設備の安全性だけでなく、付近に住んでいる人が安心できるような、万全の監視体制が必要です。それから原子炉の中に溜まった灰をどうするか。石炭の発電所ならそのまま捨てればいいけれども、これはそういうわけにはいかない。海に流せば、紀元2000年ごろには、1年間にでる灰だけで世界中の海が汚染されちゃうと計算されている。だからどこかえへ、じっと動かないような形にしておかなくちゃいけない。地下深くにステンレスのタンクをつくって大事にしまっておくという一方法も、ここ10年やそこらは大丈夫でしょう。しかし日本産業の伸び、文化のレベルの向上なんかを考えると今世紀末には大変な量になります。その始末をどうするかが解決できないことには、原子力利用がやれないわけです。  

司馬:厄介な問題ですな。  

向坊:アメリカなんていう国は恵まれまして、たとえば地下に直径数十マイルの岩塩の塊がある。ということは何万年も水がなかったということですよ。だからそこに穴を掘ってしまっておけば安心なわけです。イギリスや日本は安心して捨てる場所がない。日本は国が狭い上に地震があるし、地下水がいたるところにあるということで・・・・・・。  

司馬:海中投棄はダメですか、うんとコンパクトにして鉄か鉛でもかぶせて。  

向坊:生物にはいろんなやつがいまして、何でも食っちゃうのがいるんです。  

司馬:なるほど、微生物には金属でもなんでも食うのがいるそうですね。  

向坊:そういうのが海底にいるかいないか、確認してからでないと、危なくて捨てることは許されませんね。それから最近の海洋学の知識では、一万メートルの海底といえども海水が動いていて、これがどう動くのかも調べなくちゃいけない。またそこにどんな生物がいるかということも確認しなくちゃいけない・・・・・。  

司馬:気の遠くなるような話ですな。  

向坊:とにかくこの灰をいかに始末するかという問題、これには莫大な費用をかけて十分な研究をしなくちゃいけない。それも、いつまでかかっていても良いと言う研究じゃなく、すくなくとも今世紀末までに、いや、いまから15年かそこらの間に、答えを出さなきゃいかん研究なんです。なにしろこれを解決しないことには、原子力利用が糞詰まりならぬ灰詰まりになっちゃうんですから。あらゆる分野の連中が協力してこの問題を解決する義務を、われわれは子孫に対して負って  いるわけです。今世紀末というとずっと先のように聞こえるけれども、いまの小中学生が第一線で活躍している時期です。それまでこの問題をなんとか解決する義務がある。解決できなければ、必ず日本はモトノモクアミに戻りますね。

     後略  

対談が行われたのが1970年ですから42年も前に、当時の原子力工学の第一人者が持っていた懸念を赤裸々に述べられていたことが、先の原発津事故でクローズアップされた使用済核燃料、汚染水、除染土壌、汚染ガレキの始末に共通する問題であり、以来これらの始末の進捗がないままに、多くの原発が建設され続けてきたという現実は極めて深刻な問題です。 対談の中に出てくる、当時小中学生だった人たちが今では40代後半から50代なかばで政官学民の中枢で頑張っているのがむなしい感じがします。いったいぜんたい国や政治家や電力会社や学者さん達はこの問題解決になにをやってきたのか!

と怒りをおぼえるのは私だけでしょうか。
                     ロンドンにて

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