竹紙について     2012年08月05日      阿部英二郎

  紙の起源は紀元前に中国の蔡倫の発明だとのことで、その為に昔は唐紙(からかみ)とも呼ばれていた様 です。 古くはそれこそ竹を始めとするいろいろな植物繊維が紙の原料として利用されてきま したが、我が国では楮(こうぞ)とか 三椏(みつまた)等の強靭な繊維が利用された為に、中国ほどは竹は利用されなかっ た様です。明治時代に入り、近代的な機械漉き洋紙製造の段階に入ると、大量の手当て、搬送のし易さと加工特性から針葉樹を主とする木材がその原料として利用されていくこととなりました。
 当時から紙の製造は、木材の他にも水、重油、電力等々産業レベルで言うと5本指に入る資源多消費型であり、その為に戦前の製紙工場は水と原材料を求めて北海道や四国、富士地区等に集中していた訳です。そんな訳で、戦前の王子製紙の流れである現在の王子製紙や日本製紙は明治の頃から手当てしてきた山林面積が夫々19ha,10haと日本でも1、2を争う土地持ち会社であり、株式に関心のある皆様には「含み資産の製紙」と言われている様です。
尤も私は、製紙会社の山林利用が進んでいない為に、「含まれっ放しの製紙」と皮 肉っていますが  !
ついでに記しますと、3番目の山林持ち会社は4月に君津の亀山社有林で「木寄せシステム」を実証実験させて頂いた三井物産(株)でその面積は約4.5ha、それでも日本国の総面積の約800分の1ですから膨大なものですね!
横道にそれましたが、大量の紙需要が膨らんできた昭和30年代に入るとその原料は手当量とコスト面から広葉樹の利用、或いはカナダ・北米を主とする外材の手当て、木材からより加工度を高めた木材チップに、更にパルプそのものの輸入へとシフトしていきました。  当時は竹かごやザルその他の竹製品需要がありましたから竹林の荒廃までの問題は少なかったのですね。しかし30年代後半に入るとプラスチック製品の普及や大巾な生活様式の変化等により竹の利用が激減してしまいました。加えて、食用としてのタケノコも中国から安価なタケノコ水煮の缶詰が入ってきてしまいました。そんな中、山口県と共に日本の竹林面積を2分する鹿児島県に主力工場を持つ中越パルプ工業(㈱)は10年位前から薩摩川内市にある川内工場で本格的な竹パルプを利用する竹紙(ちくし)を開発し現在では年間千トン強の生産販売に結びつけている様です。去年は「第8回エコプロダクツ大賞」の農林水産大臣賞を受賞し話題になりました。環境負荷に配慮したエコプロダクツとしては評価が高いのですが、伐採効率は木材と比べても劣り、搬送時には内面空洞の為に空気を 運ぶ事となりパルプ製造時には黒液の発生が多く、コスト面で高いものとなります。山にまではびこって行く竹害を防除するためにも大量処理としては製紙原料としての利用が一番か、とは思いますが以上述べたような次第で一企業としての取組では全国にはびこる竹に対しては限界があり、助成金での支援が必要かと思います。

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