電力独裁が国の将来を誤らせる 佐野 勇  2011年9月9日 

大正デモクラシーの残り香を微かに感じると自分なりに思えるような、幼児期から少
年期にかけての断片的な思い出がいくつかある。
一つは
1936年の2.26事件の朝、父から東京で大事件があったことを聞いたときのこと
である。
家には近所では珍しく長方形に半円が乗った形のラジオがあり、恐らく父は雑音の中でそのニュースを聞いたのだろう。当時住んでいた静岡県としては珍しく降った雪が止み、裏庭に横積みになっていた竹や材木の上に残った雪に小便をかけたら黄色く溶けていったことを思い出す。
 臨海学校の思い出もある。
初めてよその学校の子供たちと、天皇が皇太子時代に海で遊んでいた沼津の御用邸近くで
(当時は皇太子も褌だった) 2週間の合宿生活を経験した。初めてのよその学校の子供たちとの共同生活で、中等野球で優勝した和歌山県海草中学の嶋清一投手の話を聞いた。あとから知ったことだが彼は準決勝、決勝と2試合続けてノーヒットノーランをやってのけた優勝投手だった。さらにあとから知ったことだが、明治大学から学徒出陣して25歳の生涯を終えた。 

もう一つは1940年に翼賛議会で体を張って軍部を糾弾して議員除名になった斉藤孝夫のことで、これもなぜか沼津の海と一緒に思い出す。細かいことは知る由もないが、その頃ラジオから民政党と政友会という言葉をきわめて頻繁に聞いた記憶がある。子供心に正義漢斉藤孝夫の名前が頭に残った。
今思うと、これが私のデモクラシーの記憶の終焉である。小学校
4年生だった。それからあとは特に軍国少年になることもなく、長兄が戦死するまでは家族は貧しい歯医者の生活を楽しく送っていた。 
いま思えば、この頃が軍閥とくに陸軍が横暴をほしいままにした始まりである。股肱の臣を2.26事件でことごとく抹殺された昭和天皇が、オレという言葉を使って憤慨したと聞いた。金科玉条の軍人勅諭は書き出しで 「わが国の軍隊は世々天皇の統率し給うところにぞある」と定義しているので、タテマエでは不忠の行動はなかったが、天皇をけん制もしくは軽視する空気はあったように思う。陸軍の戦争をしたい一心で、国の方向は一気に戦争拡大に突っ走った。 

それを機会に電力の統制が始まった。想像では電灯と小規模な工業を支える程度の規模の、本来ローカル事業だった初期の発電業は、そのころまでは基本的に市場原理で動いていたはずだと思う。
しかし戦争遂行が国是となるとともに商工省は軍需省に変わり、コマーシャリズムは汚いことのように軽んじられるようになった。
自然発生的に生まれて徐々に産業の形を整えてきた電力産業が、これを機に日本発送電をいう発電と送電を独占で行う独占事業に変異した。
 戦争が終わり軍需省は通産省に変ったが、戦後復興の中心として石炭、鉄鋼、肥料などとともに電力も傾斜生産方式に組み込まれて新たな時代に入った。
しかし
GHQの財閥解体政策にも生き残り、九電力体制にはなったが発電、送電、販売の分離はならなかった。
それからあとの長いあいだに、通産省と電力業界の間の力のバランスが徐々に電力に傾いていったように思う。
 
産業経済社会のこの移り変わりが、私のなかでは児童体験と重なるのである。

60年代の通商産業省 (MITI) には、かつての陸軍にも劣らぬ傍若無人な横紙破りの態度が身についてきた。その頃私はアメリカでいくつかの小さくない契約をまとめたが、最後には通産省がダメを入れてくれるのであまり苦労しなかった。相手は、またnotorious MITIかと折れざるを得なかったのだ。 

すぐに外貨準備が底をつくような時代には、大蔵や通産の原則禁止の統制経済と行政指導は容認できた。しかし80年代の超LSIプロジェクトを最後に通産行政の威力に陰りが感じられるようになり、そのころから東京電力は通産省より強くなったという話が耳に入るようになった。 原子力の検討が時の流れとなり濃縮ウランの購入が外交テーマとなるに伴って、日本の電力行政が原子力に傾いたこと自体には私も格別異論は差し挟まない。
しかし最近になったいろいろなことが分かってくると、国が行うべきエネルギー政策が電力会社の損益で決められていたように思えるのである。本来エネルギー政策は、国防と同列の国家安全保障の核となるべきものである。電力行政に非公式ながら電力会社が容喙するようになったということは、少なくとも電力に限っては国として重要であるべきエネルギー政策が企業の損益で左右され
るということであり、国の安全保障ではなく企業の利益確保が優先しているということである。電力独裁がかつての陸軍と同じように国の存亡を誤らせるのを恐れるのである。
 

発電の買取り制度 (FIT) も地熱発電も、これまで電力会社の許す範囲でしか進んでいなかった。日本は太陽発電で世界に先んじている、風力タービン技術では先進国だ、風力発電は騒音が激しく生態系を脅かす、こんな世論がおそらく意識的に形成されているうちに、世界との間に埋めがたい格差が生じかつ広がってしまった。昭和10年代に軍の横暴が世界との亀裂を生んだのと同じような世界との格差が生まれた大きな理由の一つは、収益優先の電力独裁にあるように思う。
これは格差というレベルの問題ではなく、先進国としての日本の存亡にも関わることである。
  アメリカでは電力は法律的にローカル産業だが、経営者には高い見識のある人材が多いように思う。
しかしわが国の場合、不幸にも福島でメルトダウンが起きた瞬間に、東京電力の経営者と経産省原子力安全・保安院の双方に見識の不在が露見した。その後安全・保安院が環境省に移管されたことと
FITの導入が決まったことは、民主党の成果として評価してよい。
しかしもう一歩踏み込んでエネルギー省を創設し、そこに保安院を移すべきであったろう。
 海外の論調を丹念に見ていると、今度の震災を機に世界が日本のエネルギー行政をかなり的確に捉えるようになった。存在感を失った日本に、passiveながら関心が集まるようになったことは不満足だが悪いことではない。

佐野 勇記

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