「生きているとはどういうことか」池田清彦著 2014年4月30日 吉澤有介

   著者は構造主義生物学の立場から多分野にわたり評論・言論活動を行っています。あるものが生物か無生物か、私たちは直感的にわかります。ところが「生物とは何か」を定義しようとすると、きわめて難しいことに気づくのです。生物には、物理化学法則とは別の「生きもののルール」があるからです。それは一体どういうものか。本書では、さまざまな生命現象を紹介して、生命はしたたかでありながら案外いい加減な存在だと述べています。生命のルールがときどき変わるからなのです。

 生物は、物質の代謝と循環によって動的平衡を保ちながら、徐々に変わってゆきます。ほとんどの生物は、生まれれば育ち、老化して最後には死にます。全く同じようにつくり変えている限りは、成長もなければ繁殖もありません。生物は、内と外の境界を次々に変えながら、自分自身が変ってゆくシステムを持っているのです。つまり生まれてから死ぬまで自己同一性を保ちながら、外部からの指令がなくても勝手に成長して死んでゆく。それが「生きている」ことの本質なのです。現在、その生命を司る局所的なルールの大方はわかっています。しかしその局所的なルールをいくら重ねても生物は動きません。そこに生命の本質があるはずなのですが、それが何であるのかが、まだわかっていないのです。

 生きているとはどういうことかを考えるヒントに、クマムシのクリプトバイオシス(乾眠)があります。クマムシは水分を抜いて乾燥させるとカチカチになって、代謝が完全に止まり、ほとんど死んだ状態になります。ところが水を一滴加えると、また息を吹き返して動き出すのです。高分子の位置関係を保ったまま縮退する現象です。代謝しなくても死なない。つまり高分子を生きた状態のままに配置すれば、理論的に生命はつくれるはずです。卵子や精子の冷凍保存ができたので、冷凍人間も夢ではないのかもしれません。

 本書では、ヒトの老化と寿命についても考察しています。動物である以上、老化は防げません。遺伝的に決まっていることです。体細胞の分裂に限界があって、人間では50回ほどで分裂増殖が止まります。分裂しない神経細胞でも、寿命は120年ほどだそうです。生殖を終えた親はなるべく早く死んだほうが、エコロジカルでもあります。なぜ人間は長寿になったのでしょうか。爺さんが集団内の調停や過去の災害の記憶などで、集団の生存率を上げたという説があります。言語の獲得があってのことでしょう。しかし日本人の長寿には問題もあります。要介護で10年生きる健康保険は異常でしょう。早期発見、早期治療はコストがかかります。著者は健康診断は無意味だといいます。自身も受けたことがない。東大で受診率が最も低いのが医学部だそうです。1974年のフィンランドの保険局の実験によると、健診・医師介入したグループと、非健診グループを比較したら、介入群のほうが死亡率が高い結果になりました。介入によるストレスが死因の上昇につながったというのです。著者はガン放置説の近藤誠医師にも共感しています。ガンも多様だからでしょう。
 生命とは物質の特殊の配置のことですが、不思議にそのルールも自身も変ってしまうことがあります。自分の考え方でも突然変ります。それが生きていることなのですね。「了」

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