「やわらかな生命」福岡伸一著2013年12月12 日 吉澤有介

   これは分子生物学者である著者の、肩のこらないエッセイ集です。週間文春に連載されていたそうですから、お読みになった方もおられることでしょう。要約にはなじまないので、ところどころを拾い読みしてみましょう。

 最近は、スマホやケータイの充電が、寝る前の一仕事になっています。その電池の原理を最初に見つけたのは18世紀末の生物学者でした。ご存知のガルヴァーニのカエルの解剖です。その後、充電式の電池にはカドミュームとニッケルが長く使われてきましたが、1979年に水島公一らが、リチュームイオン電池を考案して、この分野が日本のお家芸となりました。原理の発見から実用化に向けてのプロセスは、テクノロジーの本質そのものです。

 そのケータイも壊れることがあります。そこで著者は機械と生命との違いを考えました。それぞれの機能を持った多数のパーツは同じですが、生命は機械ではありません。かって麻布中学の試験問題に「ドラえもんは生物ではない。それはなぜか。理由を答えなさい」と出たそうです。これは素敵な問いでした。著者は生命の定義として、動的平衡という特徴を提案しています。生命はエネルギーを使って、絶え間なく自らを壊し、自らを作りかえています。分解と合成の動的な流れにある、微妙なバランスで成り立っているのです。

 そのような考えに行き着いた著者は、かっては昆虫少年のオタクでした。いつもきれいなチョウや珍しい甲虫を求めて野山をさまよっていましたが、あるとき親に顕微鏡を買ってもらい、美しいミクロな世界に感動してしまいました。このような素晴らしい装置を最初に考案した人は誰か。オタクの習性としてその源流を探索したところ、17世紀のオランダのデルフトにいたアントニ・レーウェンフックと突き止めました。純粋のアマチュアでありながら、自作した顕微鏡で細胞、微生物、血球、精子などを次々に発見したのです。

 ちょうど同じ頃、同じ場所に画家フェルメールが住んでいました。二人は親友だったかも知れません。後年、著者は世界中を回ってフェルメールの現存する37の作品を訪ね、すっかり心を奪われてしまいました。さらにその青の系譜を追って、北斎の作品に辿りついたのです。その経緯は、オタクとしてDNAを追っていた研究者の姿勢そのものでした。フェルメールへの思いはさらに高じて、ついに東京・銀座に、最新のデジタル技術を使った美術館をつくって、その館長に就任しました。 -フェルメール・センター・銀座 -

 またこの17世紀の音楽についても関心を寄せています。フェルメールの絵の中に楽器や音楽のシーンが溢れていたからでした。リューベックに老作曲家のプクステフーデがいて、一人旅で訪ねてきた20歳のJ・S・バッハに、数ヶ月にわたって音楽のすべてを伝授したといいます。源流を追う分子生物学者のアタマの柔らかさはさすがですね。

 著者はまた無類の地図好き人間でした。常に現在地を確かめないと落ち着きません。昆虫少年の夢もマッピングの探索でした。生物学者となってからは、細胞の森に分け入って、そこに隠れている遺伝子を探しました。そのヒト・ゲノム計画は完了しましたが、そこでわかったことは、生命のことはまだ全くわからないということでした。「了」

カテゴリー: 社会・経済・政策, 科学技術, 自然 パーマリンク